第10部 結う、結ぶ
日本酒のふるさと、宍粟。清酒発祥の地、伊丹。日本一の酒どころ、灘五郷。酒米山田錦。宮水。丹波・但馬杜氏。日本の酒には、兵庫の魅力がぎっしりと詰まっている。

グラスの中で光る琥珀(こはく)色の液体。紹興酒にも似た香りは古酒か。飲むと、想像は鮮やかに裏切られた。飲み慣れたよりもかなり濃厚な味わいの日本酒だった。
「赤穂義士が討ち入った元禄15(1702)年の造りを再現しました」と小西酒造(伊丹市)技術部の秋田耕治さん(61)。
1550年創業の同社には、5万点以上と言われる古文書が残り、その多くが伊丹市立博物館で保管されている。元禄-明治期の酒造レシピもあり、二十数年前、再現に挑んだ。
現代は、米1に対し水1・3の割合で造る。ところが当時は、水が0・7前後と現代のほぼ半分。当然、米が水を吸ってもろみが固まり、桶(おけ)をかき混ぜる櫂(かい)すら入っていかない。
「本当にできるのか」。清酒の発祥にして、日本一の酒どころ・灘五郷の礎も築いた伊丹諸白(もろはく)。江戸で「丹醸(たんじょう)」「下り酒」と絶賛された味をたどる最初の一歩だった。

深さ1メートル、幅70センチ、奥行き1・5メートル。昔ながらの木製の「槽(ふね)」に、何十ものもろみの袋を積み上げる。袋はその重みで、澄んだ液汁をにじませる。果実のような香りと共に、みずみずしい新酒がほとばしる。
姫路市広畑区の田中酒造場。「搾ったのは『庭酒(にわざけ)』。播磨で生まれた日本酒のルーツを再現した」と、田中康博社長(66)が胸を張る。
奈良時代の地誌「播磨国風土記」に、現在の宍粟市周辺の「庭音(にわと)(庭酒(にわき))村」でこうじの酒を造り、神にささげて宴(うたげ)を開いた、との記述がある。こうじの酒造りについて書いた最古の資料とされる。
「播磨は日本酒のふるさと。『風土記の酒』をよみがえらせたい」
2013年、姫路など播磨の4酒造組合が、宍粟市一宮町の庭田神社で酵母菌探しに挑んだ。
通常、酒造りの酵母菌は専門機関から仕入れる。自然界で新たに見つけるのは容易ではない。
採取は5度に及び、兵庫県立工業技術センター(神戸市須磨区)の原田知左子さんが約100サンプルを調べた結果、拝殿近くのサカキの菌が使えることが判明。幸運は続き、こうじ菌も見つかった。「神様に熱意が届いたのかも」と田中さん。
原料は播磨の米と水▽精米歩合は90%前後▽蒸した米とこうじ、水を一度に仕込む「一段掛け」-などの共通ルールを設け、各社が製品化した。試飲してみると、甘酸っぱく、うま味が強い。ああ、甘露、甘露。

伊丹市の公園に立つ「鴻池稲荷祠碑(こうのいけいなりしひ)」。1600年ごろ、戦国武将・山中鹿之介の息子と伝わる山中新六幸元が、この地で濁り酒に代わる澄んだ清酒を生産し、江戸に運んで成功した逸話を伝える。播磨国風土記から約900年。隣国摂津・伊丹が酒どころの名声を博していた。
高度精米や雑菌を抑える寒造り、掛米(かけまい)の量を徐々に増やしていく「三段仕込み」などの技術革新で品質が安定し、大量生産も可能になった。五摂家筆頭の近衛家が領主となり、産業として手厚く保護された。
「造りやすい環境が整い、船便の発達もあって支持された」。伊丹市都市ブランド・観光戦略課の中本賢一課長(49)はみる。
味はどうか。元禄(1688~1704年)の酒の再現に挑んだ小西酒造の秋田耕治さん(61)は「現代とほぼ同じ技術水準に達していた」と驚く。
硬かったもろみはやがて溶け、濃厚な酒に。昔は雑菌が出やすく、薄めない方が安全だったのか。水が少ない分、より甘く酸味が利いた。
文化・文政(1804~30年)や慶応(65~68年)期も分析すると、元禄に比べて淡麗辛口になっていたといい、「市場調査をして江戸っ子の好みに合わせていたらしい」。
元禄の酒は今も販売する。「手間はかかるが、原点ですから」と秋田さん。沿岸部で輸送に便利な灘五郷の隆盛もあり、伊丹の蔵元は同社と伊丹老松酒造の2社になったが、清酒を生んだ街の誇りが息づく。

「JAPANESE PURE SAKE」。印字された箱がコンテナに手詰めされていく。神戸港から船便で1カ月、目指すははるか遠くイタリアだ。神戸・六甲アイランドにある日本通運の支店。業界最大手白鶴酒造(神戸市東灘区)の日本酒が、次々と輸出されていく。
北米、アジア、欧州…。海外では燗(かん)が中心だったが「最近では常温や冷酒も好まれる。行き先、量ともに増えている」と、執行役員海外事業部長の松永將義さん(55)。
県酒造組合連合会などによると、清酒の国内出荷量に占める兵庫勢の割合は26%に上る。だが全体としては1970年代をピークに下げ止まらず、2017年度は88年比で64%減の52万4561キロリットルだった。
ただ、13年に和食が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された頃から海外で人気が高まり、輸出量は88年比3倍強の2万368キロリットルと右肩上がりだ。
神戸税関によると、国内の17年港別日本酒輸出数量で、神戸港は49・7%と東京港の18%を引き離し、20年連続の1位。「世界に認められれば国内でも見直される。歴史豊かな兵庫から魅力を伝えたい」と、小西酒造の小西新太郎社長(66)。
酒米に水、丹波や但馬の杜氏(とうじ)の技にも恵まれ、唯一無二の酒の歴史を紡いだ兵庫。歳月を経て、洗練された現代の下り酒は、世界の左党をもうならせる。
(記事・佐伯竜一 写真・大山伸一郎、中西大二)

「アローイ!」。JR姫路駅の高架下にある兵庫県産日本酒の限定バー「試(こころみ)」をのぞくと、タイから取材に訪れたブロガーが「おいしい!」とコメントをしたところだった。
立ち飲みスタイルで、58社の約300種類が並ぶ。タッチパネルの端末から、味わいや銘柄の情報を参考に注文する。1杯65ミリリットル130円から。
おしゃれな雰囲気にリピーターも増えている。「兵庫の酒は流行に流されない」と五十木(いそぎ)洋介店長(48)。さあ、もう一杯頼んで、勉強?だ。