なんということが起きたのか。兵庫県の南部を襲った地震は、想像を絶する被害をもたらした。死者・不明者は千人を超えた。犠牲者には心からのお悔やみを、被災者にはお見舞いを申し上げます。このうえは力を合わせて、復旧に努めたい◆激しい揺れの後、神戸の須磨・三宮間を歩いて出社した。悪夢そのものの光景だった。黒煙が空を覆い、木造家屋が軒並み倒壊していた。着の身着のままの被害者は、立ち尽くすのみだ◆ビルも倒壊していた。JR三ノ宮駅周辺では、交通センタービルや国際会館、市役所旧館などが傾いたり、押しつぶされた状態になるなど悲惨極まりない。神戸新聞会館の著しい被害を受け、本社の機能もマヒ状態に陥った。この原稿もガレキの中での執筆である◆直接目にした被害だけでも、この惨状だ。それにしても未明の揺れが、もし街が活動に入った時間に起きていたらと考えると、身の毛がよだつ。鉄道の駅やオフィスビルで、もっと人的被害が広がったに違いない◆震度6の烈震だったとはいえ、こうももろく阪神高速の高架が崩壊したり、壊れたのは、なぜなのか。わが国有数の人口密集地帯の都市機能が、完全にマヒしてしまった。被害が広がった背景には「関西は地震がない」のスキがあったのでは、とすれば、大き過ぎる代償だった◆この災害を教訓にして、あらためて耐震基準の見直しを含め、都市災害の防止を考えたい。まだ余震の心配がある。冷静さを心掛けよう。国の復旧支援も待たれる。悲しみを乗り越えて復興に努めよう。
1995/1/18