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(3)通院記録 予想超えた壮年層の死
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 「抱えていた問題になぜもう一歩近づき、手助けできなかったのか」

 ある病院スタッフは、いまも幸弘さん=仮名=の死を繰り返し悔やむ。その手元の記録には、昨年九月に書かれた幸弘さんに関する最後のメモがあった。

 「アルコールなので、フォローせず」

    ◆

 幸弘さんは、今冬のある朝、遺体で見つかった。神戸市内の地域型仮設住宅の一室。凍えきった部屋に毛布二枚しかなく、そばには酒ビンが転がっていた。

 五十歳代半ば。その部屋に昨年八月からひとりで住んでいた。警察の調べでは、死後三日。死因は脳内出血による病死で、肝硬変の症状もあった。

 幸弘さんがその病院を初めて訪れたのは、一九九〇年八月。「左ひじが痛い」と訴え、外科で診てもらった。血圧が高かったため、内科へ。肝機能も悪く、アルコール性肝炎と診断された。以来、月一回、欠かさず通っていた。腕のいい職人としての評判があった。

 しかし、判で押したような通院は九四年七月で突然、途切れている。仕事を辞めたのか、「健康保険証を返したんで、新しい(国民健康)保険証ができるまで、診察を延期してほしい」と、翌日の予約をキャンセルしてきた。

 八月、九月にも病院にやってきて、予約を延期した。体から酒のにおいが漂い、目が黄ばんで見えた。病院ではケースワーカーへの相談を勧めたが、「高血圧の薬は、残ったのを飲んでいるから」と断った。

 近所の人の話では、ちょうどそのころ、家族が離れていった。そこへ地震が襲い、家がつぶれた。

 震災後の三月。ある医師が避難所の巡回訪問で偶然、幸弘さんに出会っている。血圧は上が一八〇。ボランティアに薬を届けてもらい、次は病院に来るよう約束させた。しかし、病院には現れず、看護婦が自宅を訪ねてみたが、すでに解体された後だった。

 「薬もらいたいけど、診察受けんとくれんやろ」

 昨年五月にも、病院の看護婦がまだ避難所にいた幸弘さんを見かけたが、言葉には通院への気力は感じられなかったという。

 病院が幸弘さんのその後の消息を知ったのは、九カ月後のこと。「仮設で孤独死」の新聞記事だった。

    ◆

 震災後、多発する五、六十歳代の男性の死について、医療関係者や行政の担当者からは「予想外」との言葉が出た。年齢層や死因の調査をした兵庫県保険医協会も「高齢者が亡くなっている女性に比べ、男性の場合、あまりにも壮年層が多い」と驚きを隠せない。

 「率直に言って、復興委員会は高齢者のことで精いっぱいで、こうした問題に気づかなかった」

 元阪神・淡路復興委員長の下河辺淳氏は、震災から五百日のインタビューでそう話した。

 医療機関にかかっていても、内科治療から、飲酒を念頭においた治療につながりにくい現状。ただ、専門医は以前からアルコール依存症の問題点を指摘していた。神戸協同病院で依存症の特別診察を担当する中田陽造医師はこう話す。

 「震災は患者に酒を飲む絶好の口実を与え、症状を悪化させた。そして、仮設住宅暮らしが問題を顕在化させた。まず、周囲の人が、依存症は病気だという認識を持たなければ」

 壮年男性の孤独な死に、専門医と、患者を取り巻く社会の意識とのずれがのぞく。

1996/9/10
 

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