■50代、ケアの谷間に
酒はワンカップしか飲まない。欲しくなれば、近くの自動販売機に買いに行く。買い置きをしないのは、あればあるだけ全部飲んでしまうからだ。
五十三歳。神戸市長田区の仮設住宅で一人暮らし。英男さんは毎日、家と自動販売機の間を往復する。
「立ち飲みは高いやろ。食べるもんも注文せなあかんし」
中学を卒業して働き始めてから、いつも周りに酒があった。アルコール依存症で、入院八回。それでも、工員を続けながら生活してきた。支えてくれたのは、一回り年上の妻。震災前は、神戸市須磨区のアパートに二人で暮らしていた。一緒にカラオケに行くのが楽しみだった。
しかし、仮設住宅に移った直後の昨年八月、妻はトイレで心臓発作を起こした。救急車を呼んだが、間に合わなかった。
「仮設に当たって四国の避難先から呼び寄せた。わしが殺したようなもんや」
募る孤独感。体調の悪化が追い打ちをかけた。ヘルニアで、腰の痛みがひどい。座っているだけでつらい。妻の死後、数カ月酒をやめた時期もあるが、また飲み始めた。飲めば、少しは痛みも忘れられる。
仕事はできず、今は生活保護を受けている。働いてかせいでいたころが懐かしい。仕事場で撮った写真をみると、「あのころが一番よかったな」と思ってしまう。「人間、働くようにできとる」が口癖だ。
「今はじっくり治療を」と言う役所の人に、「家で一日中じっとしてるつらさが分かるか」と、当たったこともある。
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仮設住宅に移って二度目の夏。朝起きると、なべでご飯をたくのが日課だ。救援物資の炊飯器をもらえないこともなかったが、妻が長年使っていたなべを手放す気になれなかった。仏壇にご飯を供え、一緒に朝食をとる。そして、花びんの水を取り換える。
住宅内に、特別親しい人はいない。言葉を交わすのは、隣に住む一人暮らしのおばあちゃんくらい。電気代を節約して真夏もクーラーをつけず、一日中、玄関と窓を開けっ放し。きっちり閉められたサッシの玄関が並ぶ中に、そこだけ、白いレースののれんが揺れている。
一人の部屋で、妻がカラオケで歌ったテープを、よく聴く。川中美幸の「ふたり酒」。
「ええおばはんやった。わしにとっては世界一、いや、宇宙一やった」。テープレコーダーを見つめ、じっと聴きいる。
復興住宅は一応、神戸市長田区内に申し込んだ。でも、ずっと今のままでもいいと思う。壁にかかった八月のカレンダーの「9」に、丸印。亡くなった妻の一周忌だった。
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男。五、六十代。一人暮らし。「弱者」とは見られにくいこの人々の抱える問題が、震災後、浮き彫りになっている。
仮設住宅での一人暮らしの病死者で、最も多いのは六十代、次いで五十代。男性の場合、六十三人のうち五、六十代だけで四十三人まで占める(八月末現在、兵庫県警など調べ)。
そして、その多くが、アルコールに関連する問題を抱えている、と医師らは指摘する。
「四十代までなら、お酒を飲んでいてもまだ体力がある。しかし、五十代になると身体に異常が出てきて、仕事もできなくなる人が多い。かといって『高齢者』ではない。その人たちに行政はどう対応するのか。難しい」。長年、アルコール問題にかかわってきた東灘区役所保健課の奥山基子主幹はいう。
ただ、自らの飲酒を問題視する人は少ない。被災地でどれほどの人がアルコール問題を抱えるのか。震災がどう影響しているのか。兵庫県も、神戸市も、データさえつかめずにいる。
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家、仕事、家族。それらを失い、一人、酒を飲み続ける。事あれば、たちまち弱い立場に陥る男たちを、震災が浮かび上がらせた。復興からは遠く離れた、その日常を追った。
1996/9/8