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 「東京にいると、何も分からない。神戸はどうなってるの? 急速に復興している、という人もいるけど。情報がほしい」

 そんな賀状を、東京の出版社の知人からもらった。おそらく、これは、現在の阪神・淡路大震災への、全国平均的な関心のありようだろう、と思った。

 そんな人に、さて、「三年目」を迎える阪神・淡路大震災の被災地の現状を、どう伝えたらよいだろう。

 もう高速道路も、鉄道も、港も、すっかり回復したし、がれきや、醜い建物の残骸もない。都心のデパートやショッピング街も、にぎわっている。全体としての経済力は八割ないし九割方戻ったし、更地にも、住宅メーカーの展示場みたいに真新しいプレハブ住宅が増えている。観光客の数も、七割は戻った。一般道路などで、相変わらず工事は多いけれど、交通量は震災前と変わらなくなった。

 などと説明することもできるだろう。旅行者に見えるのは、そんな姿にちがいない。これだけの説明なら、東京の知人も安心する。

 だが、どうしても、私たちは、旅行者には見えない半面について、別の説明をつけ加え、聞く人を、落ち着かない気持ちにさせることになる。

まだ続く孤独死

 もう半面の説明は、こうなるだろう。大震災で地上から消えた家屋は、まだ四割しか再建されていない。それも、地区によってまだらで、二割以下のところもある。流失した人口のうち、十四万四千人が戻っていない。復興都市計画に指定された二十四地区のうち、話し合いが進んでいるところは十七地区、残りは、住民の合意が得られないまま、三年目へずれ込んでいく。従って、まだ本格的に家が建てられない。わがまちのイメージが描けない。小さな商店街や市場は、地区のお得意さんが戻らないから、売り上げが伸びない。復興需要の額は、ばく大といっても、地元にすべて還元されているわけではない。中小業者は苦闘中だ。少なくとも、五万人が職を失ったままだ。約三万七千世帯、六万六千人が、仮設住宅に住んでいる。永住を前提としない仮設住宅に、それだけの人々が「永住」を強いられている。約五万五千人の被災者が、県外へ避難したまま、心細く帰郷を待っている。頼みの復興公営賃貸住宅三万八千六百戸の竣工が待たれるが、足りるのか、望みの場所に自分が入れるのか分からない。仮設住宅の「孤独死」が続き、百二十人を超えてしまった。元の近隣は、離ればなれになって、自力で家を再建できる人、できない人の格差が、ハサミ状に広がっていく。国家とか行政とかは、思うほど生活を助けてくれないと分かってくる。幻滅感、焦燥、怒りや悲しみが内向し、「自死」につながる。

 など、こういった現実を説明すると、「外の人」は、顔を曇らせ、同情を示し困惑する。彼や彼女には、どうしようもない。そこで、こう付け加えることにする。

 「私たちは、ある意味でパイオニアなのだ。私たちの、いま体験しつつあることは、いつ、あなたに降りかかるかもしれない。人ごとと思わずに、プロセスを見守り続けてほしい」

公的支援拡充を

 私たちが「復興した」と言えるには、少なくとも、二つのことが、実現しなければならない。

 一つは、被災したすべての市民が、生活再建への意欲と展望をもち、自立し、前向きに生きることができる条件。

 もう一つは、自立を目指す市民同士がともに語り合い、助け合い、高齢者や障害者も、不安を覚えずに暮らしていけるようなまち。

 この二つが実現しなければ、いくら高速道路や港や観光業が栄えても、「私たちは復興した」とは言えないだろう。

 その目標は、三年目にして、まだ不確実で、遠くに見える。自立の条件を失った人、自力だけでは挽回できない人に、公的な生活再建支援が要る。

 震災後遺症が、長期化の気配を見せるいま、死者が出続けている。第二の危機が来ている。

 危機感からのアピールや運動が、被災地を発信地として、民間人、市民から起こり、全国に広がっている。

 政治や行政も、動かずにおれなくなっている。与党は、昨年末になって、困窮被災者に対し、生活再建援助支給金の支援策を打ち出した。支給対象が限定的でまだ不十分だが、一つの始まりだ。

 全国の国民の共感を得るには、地元の一体化が必要だ。地元の自治体と市民集団が、被災者への公的支援の拡充という共通の目的で、大同連帯していく。

 そんな「三年目」にしたい。

1997/1/17
 

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