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公的支援の願い届け 大震災きょう2年 最低限の補償 一日も早く 被災者9割が「必要」
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 阪神大震災は十七日、発生から二年を迎え、六千三百九十四人が亡くなった兵庫県では、三回忌の法要など、犠牲者のめい福を祈る追悼行事が営まれる。被災地では、更地は今も広がり、被災者の生活再建の道は険しいままだ。公的支援の実現を目指す市民グループと国会議員は十六日、立法化に向け、東京で研究会を開いたが、「国の壁」はまだ厚い。神戸新聞社が行った被災者アンケート調査では、公的支援が必要とする意見が九二・五%に達し、公的支援を求める声は一段と高まっている。

 被災者アンケートでは、公的支援が「どうしても必要」が六九・九%、「どちらかといえば必要」が二二・六%。年齢別では、必要とする回答が、働き盛りの四十代で約九五%と最も多い。自立のための足掛かりにと切実な声が上がった。

 必要な理由は、生活資金のためが五二%と半数を超え、次いで、住宅再建のため、借金返済のための順となった。

 神戸市西区の団体職員の女性(44)は、自宅が全焼し、一年余り仮設住宅で暮らした。車いす生活の母親(69)には過酷な環境のため、昨年五月、思い切って中古住宅を購入した。そのローンが重くのしかかる。「国から生活を始めるための最低限の助けがあると思っていた。何のために今まで税金を払ってきたのか」

 北区の仮設住宅に住む荻野安弘さん(66)も自宅が全焼し、すべてを失った。会社も被災し、勤務先は神戸から明石に。震災後、深夜まで残業が続き、昨秋、体調を崩して退職した。土地は持つが、融資も受けられず、再建のめどはない。「公営住宅の申し込みも家賃補助が切れる五年後を考えるとためらってしまう。最低限の生活用品をそろえる補償をしてほしい」と訴える。

 東灘区のクリーニング店店主(39)は昨年四月に自宅兼店舗を再建した。が、心は晴れない。倒壊した店は借家で、土地の買い取りを求められたが、とても払えない額だった。病気の両親を引き取らねばならず、家族七人の生活と仕事のため新しい場所で家を建てるしかなかった。設備費も含め借金は五千五百万円。一年三カ月の休業で蓄えはなくなった。

 「お金があって家を建てた人はほんのわずかだと思う。周囲に住民が戻っていない上、震災後の苦しい生活でクリーニング代は節約される。借金が払えなくなったらどうしようといつも考える」

 二年が過ぎても明日は見えてこない。

 自宅が全焼し、今は民間賃貸住宅で暮らす六十代の男性は、震えた文字でアンケート用紙に思いを書き込んでいた。

 「市の住宅がほしい。生活資金がほしい。毎月の家賃を払うのでとてもつらくて死ぬ思いです。一日も早くなんとかしてほしい」

1997/1/17
 

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