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(1)合意の模索 町の面影残した案求め
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 播磨灘の寒風が吹きつける淡路島・北淡町の富島港。年末、「富島を考える会」事務局の倉本佳世子さん(53)は桟橋に降りた。

 自宅のある尼崎から阪急、JRと船を乗り継いで二時間半。「区画整理」をめぐる集会や学習会などで、もう百回以上になる。

 「涙が出るほど行政の描いた絵がいやなんです。賛成が多いとは思えないし」。「網道」と言われる狭い路地を歩きながら、倉本さんは話した。

 富島生まれ。小学一年の時に転居したが、毎月墓参りに戻った。地震で家は全壊、「家がないと根なし草だ」と言った父は昨春、八十三歳で他界した。

 富島地区の区画整理は昨年十月末、県の都市計画審議会で計画が決まった。二〇・九ヘクタール、約六百世帯が暮らす町の真ん中に幅十五メートルの幹線が通り、道路が格子に走る。漁が盛んで、港から放射状の「網道」が延びる町の面影はほとんどない。

 決定は、区画整理に反対する「富島地区を愛する会」と「考える会」が、島外の学者を交え住民案を練り始めた矢先である。「なぜ」との疑問は消えない。

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 兵庫県都計審には二千二百八十件の意見書が出た。反対は約三分の一の七百以上。全体には通勤者らも含まれ、地区に限れば反対の割合はもっと高い。

 都計審は非公開で、住民八人が意見陳述した。愛する会代表の仲井義夫さん(63)は「車優先でなく、人と人のつながりのある街を。残った四百軒と新築の八十軒を壊す区画整理は必要ない」と訴え、倉本さんは「住民案ができるまで決定を待ってほしい」と述べた。

 学識経験者、県議、行政関係者らで構成する都計審は委員同士の議論はしない。この日もなかった。採択は挙手で行われ、意見書の不採択が決まった。県知事の事業認可は都計審からすぐに下りた。

 賛否が渦巻く町は今、静かなにらみ合いの中にあるように見える。

 愛する会は、「事業ができるなら、やればいい」と、立ち退き拒否を確認する署名運動を展開、三百通以上を集めている。

 小久保正雄町長は「待って案を修正しても合意は得られない」と急いだ理由を話し、白紙撤回には「手続きに何ら法的な問題はない。できない」と言い切る。

 町の仮設住宅には百五十三世帯が暮らす。住民は「反対すれば事業が遅れる」と心配し、商店主らにも「道が広い方が商業も発展する」との声は強い。

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 倉本さんらは、考える会以外の住民にも広く声を掛け、再度、案の検討を始めている。

 網道の狭さは改善しなければと思いつつ、コミュニティーをはぐくんだ富島の良さを生かした町づくりができないかと考えている。

 担当の町職員は「事業は一割の反対でも難しい。着手後、住民の立ち退きが進まなければ行き詰まるのは目に見えている」と懸念し、「網道を残すことは技術的には可能だ」と認める。

 「富島は日本の縮図」と、賛成派住民は話した。「反対派は個人のことばかりで、町全体を考えない。戦後民主主義と言うが、住民合意などあいまいなもの。リーダーシップが必要だ」

 倉本さんは「違う」と思う。「個人の犠牲は最低限になるよう考えるべきだ。人の権利を無視して復興はない。最初から合意がいらないということでは、民主主義は成り立たない」

 仕事納めの二十七日、町の「復興ニュース37号」が流れた。「一月の区画整理審議会選挙を延期する。理解を深める努力をしたい」とあった。それが合意のきっかけになり得るのか。具体的な動きは年明けに持ち越された。

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 被災地で街づくりが進む。住民同士が話し合う、自治の原点に戻った取り組みは、う余曲折である。復興というゴールへ、試練が続く。「復興へ13部」は、合意の模索を各地に追った。

1997/1/1
 

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