新しい年を迎えて、原田恵市さん(64)は千歳地区の自宅跡に立った。周囲にはグリーンのフェンスが目立つ。神戸市が買収を済ませた土地だ。原田さんの隣二軒も、すでに売却している。
「ここにまた家を建てても、親しい人は戻ってこないんやな」。厳しい、さびしい、でもやむをえない。原田さんはそう思う。
大池町一丁目で生まれ育った原田さんは、一九五二年、当時の国鉄鷹取工場に就職した。八七年の民営化で早期退職するまで、四十五年間勤務。この街で結婚し、二男を育てた。
家は四軒長屋の西端。退職前に二階建ての家に建て替えた。筋交いを入れた頑丈なつくりで、震災ではびくともしなかった。だが、火が回ってはどうしようもなかった。
あれから二年。JR土山駅前にあるJR社員専用の自転車置き場に管理人として夫婦で移り住み、二度目の冬を迎えた。
この間、原田さんは一つの計画を温め続けた。長男との二世帯住宅だ。三階建てにして、一階は原田さん夫婦、上二階は長男一家。「お互い同居の煩わしさを感じないよう、台所やふろは別にする。出入り口を分けてもいい」
しかし、区画整理の問題でいつも行き詰まる。所有する土地は十五坪(約五十平方メートル)。事業が実施されると減歩され、その上に建ぺい率がかかる。家が建つ広さは確保できるのかどうか、見通しは立ちにくい。
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千歳地区に住んでいた約千二百世帯のうち、区画整理の対象地域には約一千世帯が含まれる。コンサルタントとして住民のまちづくり協議会にかかわる浅野弥三一さんはいう。
「持ち家の住民の土地は、大半が二十坪以下。減歩率によっては、家の再建が厳しいケースが出てくる」
千歳町一丁目の二十四世帯の一人、阪本孝三郎さん(55)は昨年末、長田区で中古住宅を購入した。が、千歳に所有する十五坪の土地は処分していない。
「戻れるものなら戻りたいが、うち一軒では難しい。何かいい方法はないものか。共同住宅などのプランがあれば乗りたいが…」
なかなか定まらぬ街の青写真に、持ち家の住民にはじりじりする日が続いた。
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今月七日、千歳地区の現地相談所で仮換地に向けた市のヒヤリング調査が始まった。
地区のまちづくり協議会が発足して一年余り。昨年夏、市とJR西日本が鷹取工場の敷地買収で合意、公営住宅や公園用地にめどがたった区画整理事業は、住民との個別の話し合いの段階に入った。
住民注視の中、事業は動きつつある。一方で、鷹取工場の従業員は、移転に伴う配転問題に直面することになる。「国鉄民営化の時、つらい思いをしたから」と、まちづくり協議会の会合で原田さんは訴えた。
「工場には、泣いている人もいる。その気持ちを分かった上で、事業をすすめてほしい」と。
今後、生活の再建はどんな道をたどるのだろう。将来への不安や悩み、いらだち、そして決断と迷い。住民の揺れる心情を詰め込んだ「焼けた街」は、被災から三年目に入った。
(記事・桜間 裕章、森玉 康宏、三沢 一孔)=おわり=
1997/1/22