震災四年を迎え、復興は第二の段階に移りつつある。自立した市民が動き、人間に視点を置いた取り組みが、一層、求められてくる。被災地の挑戦は、少子・高齢化する成熟社会への道を切り開くものだ。
「被災地の生活支援の現状は、復興過程が企画立案時から通常政策として処理できる時期へと移ってきている」
行政と被災者の橋渡し役を担ってきた「被災者復興支援会議」は、きょう十七日付で、こんな趣旨の指摘を盛り込んだ最終提案をまとめた。
会議には福祉やまちづくり、ボランティア、雇用など復興にかかわる各分野の専門家が加わり、計十二回の提案を重ねてきた。行政施策に反映されたものは数多くあり、功績は大きかったと思う。
いま、この会議に限らず、官民のいろんな支援活動が節目を迎えている。通常体制へのソフトランディングを図るものがあれば、形を変えたり、あるいは終息に向かうものもある。震災復興は新しい段階に入ってきている。
いわば移行期であるが、そうした時期こそ、復興の本当の力量が問われる。
仮設住宅の入居者はピーク時の二割以下になったとはいえ、自力での生活再建が難しい人は多い。そんな被災者を取り残した復興はあり得ない。一方で、中長期的な理念や展望が求められる。
課題はさらに分散し、個別化していく。しかし、将来の復興を確かなものにするには、この過渡的な時期をしっかり乗り切らねばならない。
自立の意思を再び
第二ステージに移りつつある被災地のなかで、最近、生まれた二つの動きに注目したい。
その一つは、神戸市の県営大倉山高層住宅で半年余り前、結成された自治会が、会員対象に始めた試みだ。「救急救命の講習会を受講すれば、費用の一部を補助する」という内容である。
大倉山住宅は、被災者向けの災害復興公営住宅として建設され、五百世帯余りが入居する。高齢化率の高さは復興団地に共通するが、ここでは六割だ。お年寄りには一人暮らしが多い。当然、病気の人や、引きこもりがちな人がいる。
そんな復興団地で今回の助成策を打ち出した狙いを、梶明会長は「平均すれば二日半に一回、救急車が来ている。まず自分のため。その次に他の人のため、救急車の到着までにできることがあれば、お願いしたい」と説明する。
もう一つは、被災者支援に当たるボランティア団体の活動を財政面から支えるため、「しみん基金・KOBE」を設立しようという取り組みである。この春の設立を目指し、準備委員会が発足した。
被災者の自立を手助けするボランティアの役割は、まだまだ大きい。しかし、既存の基金のなかには、助成を終えるところが出ている。
準備委の黒田裕子代表は「資金を公的援助に求めるだけでなく、市民の寄付で支える必要がある」という。
それぞれ当事者の立場や、取り組みの内容は異なっている。しかし、基本の部分で相通じるものを読み取ることができる。新しい段階への移行を機に、あらためて示す自立することへの強い意思、といっていいだろう。
駆けつけたボランティアだけでなく、被災者自らが支援に回る。復興現場では、当たり前の情景だった。広く認知された市民の役割を、さらに高めようという芽を大切に育てていきたい。
次の時代へつなぐ
もちろん、被災者支援で公的な役割が狭まっていくというわけではない。
行政には、こうした市民の側からの自発性を十分にくみ取り、生かしてもらわなければならない。お互いに分担し、補い合うことだ。その姿勢がどこまで貫けるかが、震災復興の成否を左右する一つのポイントだろう。
同時に、市民参画型の社会に向けた時代の要請にこたえることにもなる。
その行政サイドにも、次の段階に向けた新たな考えが生まれてきた。兵庫県が先に打ち出した「人間サイズ」というキーワードが一例である。
大きさや経済効率、利便性を優先する従来型の手法の限界を示したのもまた、復興の現場だった。
教訓を生かし、安心や安全、コミュニティーを重視するまちづくりのあり方を、次の世紀の都市指針として新しい条例に盛り込むという。
当面、この理念がこれからの生活再建にどんな形で反映していくのか、注目したいと思う。
経験したことがない事態のなかで、それぞれが懸命に駆けた四年間だった。育てるべき部分は引き継ぎ、見直すべきは軌道修正する。次に向けてステップアップするには、欠かせない作業であろう。そして、立場を超えて可能な限り一体化することが必要だ。
「被災地に暮らす一人ひとりの人間が主人公になる」
この大原則を基本に据えて、第二ステージからその先に長く続く復興に立ち向かいたい。
1999/1/17