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 あの日と同じ、さえざえとした空だ。午前五時四十六分。神戸の気温は二・五度。あの日、神戸海洋気象台に残る同時刻の気温は三・四度。一月十七日。阪神・淡路大震災から四年。神戸で、伊丹で、星の林のようなろうそくの灯(ひ)が、静かに手を合わせる人たちの影を揺らせた。その炎を守るかのように、風がやんだ。西北西一・二メートル。あの日は北東の風四・六メートル。私たちは、その時間を歩いた。ふと、気づいた。街灯の明かりが届かぬ空き地の闇(やみ)。その多さ。「不在」が、なお続く「あの日」をささやく。忘れたわけではない。忘れられるわけがない。闇に語り掛けながら、私たちは千四百六十二度目の夜明けを歩いた。

本山第一小学校/夢中で生きた
 ピーク時に約二千人の被災者が身を寄せた神戸市東灘区、本山第一小学校。元避難者約二百三十人がろうそくを手にその時を迎えた。昨夏、堺市から戻った立川博さん(38)は、亡くなった義母の自宅へ向かって、「涙を汗に変え、悲しみをやる気に変え、夢中で働き、生きてきた。長く重い四年。『やっと神戸に』という安ど感と『これからが正念場』との思いが交錯し、もう流さないと誓った涙があふれてきそうだ」。

鷹取教会/終わりはない
 聖堂などが焼けた神戸市長田区、カトリック鷹取教会。約百人の信徒がろうそくをともし、黙とうをささげた。神田裕神父(40)は「最初の三年が走り続けた年月だったとすれば、この一年は『自分が何をしたのか』を振り返る日々だったと思う。五年目を迎えた今年は、震災直後、だれもが抱いた『人の痛みが分かる心』を、もう一度思い出したい。そして、震災に終わりがないことを、あらためて心に刻みたい」と話した。

徹夜座談会/引き離されて
 神戸・元町のこうべまちづくりセンターでの徹夜座談会「震災4年復興まちづくり・本音を語る」は、午前五時四十六分に議論を中断し、黙とう。まちづくりプランナー宮西悠司さん(55)は仮設住宅について「被災者を被災地にとどめることが一番大事ではないか。被災者が被災地から引き離されて地域から見えなくなり、(まちづくりの中で)生活困難な人がいることを忘れてしまうことになった」。

神の谷小学校/身代わりに…
 神戸市須磨区、神の谷小学校。校区防災福祉コミュニティの呼び掛けで約三百人が次々に訪れ、鎮魂のろうそくを点灯。主婦、薗浦美代子さん(65)は、同区大田町にあった自宅が全壊全焼。今は北落合に。「今でもあの日亡くなられた方々が、助かった自分たちの身代わりになってくれたように思えます」

保久良神社/「助けて」今も
 早朝登山で訪れ、四人が亡くなった神戸市東灘区の保久良神社。登山会のメンバーら約五十人が黙とうをささげた。同区本山中町の淵上マサコさん(76)は「数日前から、この日が来るのがつらかった。何年たってもその思いは同じ。倒壊した記帳所から聞こえた『助けて』の声が、今も胸に焼き付いていて…」。一番親しかった友人は二日前、仮設住宅から垂水区の復興住宅に移ったという。

神戸の壁/今年が最後に
 津名郡への移設保存が決まった神戸市長田区の「神戸の壁」。周辺での犠牲者数のろうそくがともり、ピンクのカーネーションがささげられた。近くの山本かつのさん(75)は「ここでの追悼も今年が最後。あのときはもう二度と住めんと思ったけど、こうして戻ってこれた。淡路に移ってもちゃんと建っているか自分の目で見に行きたい」。

復興祭特設会場/若者集まって
 神戸市兵庫区の神戸新開地復興祭特設会場。全国各地から集まったボランティアら約八十人がそろった。震災直後、名古屋から神戸に入ってボランティアを続ける加納知之さん(32)=加東郡=は「今でもボランティア活動を続けているのは、被災地外の人が多い。被災地を本当に復興させるためにも、もっと地元の若者たちが加わってほしい」。

西法寺/肩の荷重いが
 避難所にもなった芦屋市茶屋之町の西法寺(上原泰行住職)。四回目の「阪神・淡路大震災追悼会」が開かれ、住民らが犠牲者のめい福を祈って焼香。自宅が全壊した主婦(78)は「自宅を再建して生活は落ち着いたが、この時を迎えると避難所や仮設住宅での暮らしを思い出し、涙が止まらなくなる。再建費用のローンがあって肩の荷は重いけれど、明るく生きていきたい」。

1999/1/17
 

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