連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

  • 印刷

各地で追悼式

 雨が上がった。水たまりに、揺れる灯が映った。十七日、午前五時四十六分。六千四百三十二人の命を奪った阪神・淡路大震災から、五年がたった。あの時と同時刻、神戸・三宮の東遊園地に、犠牲者と同じ数のろうそくで「1・17」の文字が浮かび上がった。避難所でパンをくれた顔があった。仮設住宅で共に歌った人がいた。話しながら言葉にならず、一緒に泣いた遺族がいた。それぞれの祈り、希望を胸に夜が明けた。ぬれた地面に、朝日の温(ぬく)もりが伝わってきた。

    ◆

この灯を犠牲者に 伊丹市、白木利周(としひろ)さん(57)

 被災十市十町の灯を、徹夜のリレーで東遊園地に運ぶ「希望の灯(あか)りウォーク」を、西宮から歩き通した。神戸市東灘区の自宅で、神戸大三年だった長男健介さん=当時(21)=を亡くした。

 昨年から始まった被災地の慰霊碑を巡り歩く「震災モニュメントウォーク」に、遺族として、ボランティアとして、妻の朋子さん(56)と参加してきた。

 「ずっと息子のことしか考えられなかったけど、ウォークに行くようになって、周りの犠牲者のことが見えるようになった。この灯が健介だけでなく、すべての犠牲者に届くように」

今の幸せ お返しを 神戸市中央区、柏原喜美子さん(66)

 夫婦二人暮らしの自宅が全壊。夫はショックで寝込み、震災の五十日後、自ら命を絶った。

 しばらく「自分も死ぬことしか考えられなかった」が、今、高齢者の訪問ボランティアに励む。動けない体でも元気に生きる姿に触れ、「体が動く私は幸せ」と感じる。児童養護施設でのボランティアも始めた。

 昨年、結婚して十一年になる一人息子に初孫ができた。夫の生まれ変わりのようで、うれし涙が止まらなかった。ボランティアはずっと続けるつもりだ。

 「自分の出来ることで、今の幸せのお返しをさせてもらいたいから」

そろそろ泣いても 神戸市東灘区、神戸國男さん(47)

 「被災地は歯を食いしばって頑張ってきた。もうそろそろ泣いてもいいんじゃないか。そのために神戸で歌い始める」

 震災後、妻の美妃子さん(37)の作詞で五十四の曲をつくり、全国で「震災を忘れないで」と訴えてきた。この日は、東遊園地のステージで、「WALK・いのちへの旅」を歌った。被災地で歌うのは初めてだった。

 震災で住んでいた公営住宅は全壊。オープン二カ月半の地酒ショットバーも、全壊した。左足を骨折し、公園でテント生活。店の再建のため、これまでの分と合わせて約二千万円の二重ローンを抱えた。

 「復興はこれからが正念場。私にとっても、これからが本番です」

来ないと息子が寂しがる 愛媛県、工藤延子さん(52)

 震災で神戸大の大学院生だった長男純さん=当時(23)=を亡くした。この日は、泊まりがけで神戸へ。「来ないと、息子が寂しがると思って。参観日に母親が来ないと息子は寂しいでしょう。それと同じ。家を空けてしまったけど、やっぱり来てよかった」

 愛媛では、震災の話題はほとんど出ない。インターネットでひたすら、神戸の情報を探す。追悼の催しを見つけては、被災地に足を運ぶ。そこで語り合うことが心の支えになる。

 今、放送大学で法学の勉強に励む。法学部だった純さんの志を継いで。「そうすれば、息子に少しでも近づいた気がするんです」

雨の後に澄んだ灯 神戸市中央区、中島正義さん(61)

 東遊園地の追悼行事を開いた「1・17KOBEに“灯り”をともす会」の代表。震災で壊れた自宅を翌年に再建。ボランティアとして奔走する。この日まで、ろうそく立ての竹筒をひたすら切った。早朝、集まった参加者は約三千人。「平日なのに、こんなにたくさんの人が来てくれた。雨の後で、灯が一段と澄んで見えました」

2000/1/17
 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • 28℃
  • 40%

  • 33℃
  • 25℃
  • 50%

  • 34℃
  • 28℃
  • 20%

  • 34℃
  • 27℃
  • 40%

お知らせ