一九四六(昭和二十一)年十二月二十一日未明、兵庫県三原郡南淡町福良沖。坂田為一さん(84)は、前夜から小舟で鳴門海峡へ漁に出ていた。
「津波だ」。福良湾内まで戻ってきたとき、浜から何人もの叫び声が聞こえてきた。
やっとの思いで、帰り着いた福良の街は、路地まで海水が入り込んでいた。そのまま小舟で海岸べりの自宅へ。窓から家に入ると家族が抱き合って震えていた。
南海地震がもたらした津波だった。高さ約二・五メートル。四国、近畿一円では高さ四・六メートルの津波が襲い、千三百三十人が死亡、県内では五十一人が犠牲となった。このとき、福良地区は多くの家屋が浸水したが、幸い犠牲者はなかった。
それから五十五年。当時を知る人は少なくなった。次の南海地震は今世紀前半の発生が予測されている。規模は最大で四六年の約四倍。昨年五月、県は津波の予測マップを公表した。福良を襲う津波の高さを、細かく色分けした。高さは最高で五・八メートル。木造家屋が直撃されれば倒壊する。
阪神・淡路大震災後、精力的に行われている研究のひとつの成果だ。ようやく次の地震の怖さが、具体的になり始めた。
「地震はいつ来るか分からない。まず、住民全員が避難することを徹底したい」。同町町長公室の南幸正参事の口調は切実だ。
昨年九月、同町は避難訓練を行った。一世帯一人の参加が目標だったが、参加者は全町で四千人。福良地区の参加率は三分の一に満たなかった。「案内に予測マップを載せ十分にPRしたつもりだったが…」と南参事はため息交じりに話す。
七四年、神戸市が作成した報告書「神戸と地震」。直下型地震の危険性を指摘し「壊滅的な被害を受ける」と記した。ところが、それを意識した住民は少なく、行政にもほとんど備えはなかった。「阪神・淡路」の大きな被害は、報告書の内容を生かし切れなかった結果ともいえる。
同町は来年度、町役場など地域の建物などに津波の高さを“マーキング”することを検討している。予測マップを生かして、被害のイメージを、さらにはっきり住民に認識してもらうためだ。
南参事はこう続ける。
「津波襲来まで五十分。これが生死の分かれ目になる」
阪神・淡路大震災後、地震研究の成果が相次いで公表されている。二〇〇一年だけでも、兵庫県が南海地震による津波の被害予測を、政府の地震調査委員会が発生確率を推定した。災害の全体像が、少しずつ見えてきた。発生の年月日を予知することは困難だが、いつか必ず起きる地震。研究結果に根ざした、より具体的な備えこそが、「阪神・淡路」が残した“宿題”への答えでもある。
南海地震は、駿河湾沖から四国沖に延びる南海トラフ西部で起きるマグニチュード8クラスの巨大地震。百・百五十年程度の間隔で繰り返し発生。同じ南海トラフの東部で起きる東海地震と同時か、もしくは連続して発生することが多い。
2002/1/15