雪が雨に変わった。十七日、阪神・淡路大震災から九年の空。初めての雪、大粒の雨。それでも、見上げればあの日と同じ暗い闇が広がる。午前五時四十六分。変わらないものがある。変わったものもある。「何年たっても」と、後は声にならない人がいた。「天国から見守ってください」。成長した遺児が亡き父母に語りかけた。三千二百八十八日目の朝が明けた。十年目の時が、これから刻まれる。
震災で親を亡くした子どもの心のケア拠点「あしなが育英会・レインボーハウス」(神戸市東灘区)で開かれた「今は亡き愛する人を偲(しの)び話し合う会」。生まれたばかりの子も、もう小学生になった。遺影に白い菊を手向け、父母らにあてた作文を読んだ。
芦屋市津知町のアパートが全壊し、両親と兄を亡くした小学五年の湯口礼(あきら)君(11)=神戸市灘区=は、当時二歳。祖父母の克己さん(70)、幸子さん(71)と暮らす。
最近になり、克己さんから、父ががれきの下で自分を抱き締め、守ってくれたと聞いた。
「勉強、野球、何でも一生けんめいがんばるところを、天国から見守ってください」。父母と兄に語りかけた。そして、こう締めくくった。「おじいちゃん、おばあちゃん、いつもありがとう」
高校一年の伊藤侑子(ゆうこ)さん(16)=同市中央区=は同市兵庫区の自宅が全壊し、父を亡くした。
「自分は何で生きているんだろう」。悩み続けた日々。しかし、あしなが育英会の集いで、同じように親を失った友人たちに出会い、その思いは変わっていった。
「生きてていいんや」と。父に向かい、「守ってくれてありがとう」と涙で声を詰まらせた。
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神戸市中央区の東遊園地。午前五時四十六分の時報とともに、祈りの静寂が訪れた。六千四百三十三人の犠牲者と、震災関連死者への鎮魂を込め、六千四百六十九本の竹灯ろうで「1・17」の文字が描かれた。
幼なじみの松浦誠さん=当時(16)=を亡くした同市兵庫区の専門学校生山本清士さん(24)は、松浦さんの両親と一緒に火をともした。「成人した自分、やがて親になる自分。いろんな自分に松浦君を重ねる。ともに歩んでみたかった」
東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」には、神戸市外の犠牲者ら四十八人の名が、新たに刻まれる。
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九年とこれからの私 高校一年 伊藤侑子
私は小学一年生でした。十七日の朝、地震が起きると父はすぐ布団から出て、母と妹たちがいる隣の部屋へ行きました。「ゆっこも行きたい」と言ったけど、「来たらあかん」。それが、父との最後の会話でした。
その後、一人になると考えました。「何で自分だけ守ってもらえなかったんだろう」「自分は何で生きているんだろう」と。
変化があったのは、去年の夏のあしなが奨学生のつどいでした。初めて、震災以外で親を亡くした高校生に自分のことを話しました。訳もなく涙が止まらなくなったとき、大学生が「生きてていいんやで」と言ってくれました。その言葉を聞いて、生きてていいんやって、安心しました。
そして少しずつ、父が「来たらあかん」と言ってくれたので、無傷で助かることができたと思うようになりました。
お父さんへ。私はお父さんが大好きでした。もっといっぱい話したかったし、もっと一緒にいたかった。でも九年たって、ありがとうと言いたい。地震のときに守ってくれてありがとう。今、家族みんなは元気に過ごしています。
2004/1/17