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(2)弁当 不満の声、今も胸に
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2004・5・1 秋山さん(左)らの知恵の結晶 1995・3・6 体育館で弁当を囲んだ=神戸市灘区鶴甲2、市立鶴甲小学校
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2004・5・1 秋山さん(左)らの知恵の結晶

1995・3・6 体育館で弁当を囲んだ=神戸市灘区鶴甲2、市立鶴甲小学校

  • 2004・5・1 秋山さん(左)らの知恵の結晶
  • 1995・3・6 体育館で弁当を囲んだ=神戸市灘区鶴甲2、市立鶴甲小学校

2004・5・1 秋山さん(左)らの知恵の結晶 1995・3・6 体育館で弁当を囲んだ=神戸市灘区鶴甲2、市立鶴甲小学校

2004・5・1 秋山さん(左)らの知恵の結晶

1995・3・6 体育館で弁当を囲んだ=神戸市灘区鶴甲2、市立鶴甲小学校

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  • 1995・3・6 体育館で弁当を囲んだ=神戸市灘区鶴甲2、市立鶴甲小学校

 朝はパンかおにぎり、昼と夜は弁当。これが避難所の食事だった。

 弁当のおかずは日持ちのする揚げ物と焼き物。ご飯は冷たくなっていた。おにぎりを炊き出しの雑炊にしてしのぐ。

 ある夕食時、取材で知り合った家族を避難所に訪ねた。「魚や野菜が不足気味。血圧が心配です」。妻が訴えた。

 神戸市から弁当製造を請け負った「淡路屋」。配達に走り回った従業員に不満の声が寄せられた。「脂っこいものばかり」

 本社兼工場は東灘区にある。水とガスが止まった。仕入れ先が被災、食材が足りない。それでも「食べる人の負担にならないように」と話した。

 メニューに工夫を凝らした。煮っころがし、酢豚。自然と野菜を使うようになった。

 社員は思いを込めて「復興弁当」とよんだ。

 今、健康志向。弁当のおかずに野菜は欠かせない。製造担当の秋山照夫さん(60)が言った。「あの時の経験が生きています」

 避難所で聞いた声が今も胸にある。

(写真部 藤家 武)

2004/5/11
 

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