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パ・リーグ優勝を決め、胴上げされるオリックス・ブルーウェーブの仰木彬監督=1995年9月19日、西武球場 オリックス・バファローズの仰木彬監督=大阪市天王寺区
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パ・リーグ優勝を決め、胴上げされるオリックス・ブルーウェーブの仰木彬監督=1995年9月19日、西武球場

オリックス・バファローズの仰木彬監督=大阪市天王寺区

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オリックス・バファローズの仰木彬監督=大阪市天王寺区

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◇1995・9・19 「がんばろう神戸」を合言葉に希望のリーグ制覇◇

 阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸に本拠地を置いたオリックスは1995年、リーグ優勝を果たす。前年、200安打を達成したイチロー(現マリナーズ)が2年連続の首位打者に輝いたほか、4月には野田浩司が1試合19奪三振の日本記録を樹立し、8月には40歳の佐藤義則が無安打無得点を達成。現在、大リーグ・カージナルスで活躍する田口壮をチームリーダーに、ニール、D・Jら外国人選手も奮闘した。震災で調整が遅れ、開幕前は不利が予想されたが、「がんばろう神戸」のワッペンを袖につけ、奇跡の快進撃を演じた。日本シリーズでヤクルトに敗れたが翌年、巨人を破って日本一に。95年の観客動員は球団新の165万8000人。震災復興のシンボルとして神戸市民に希望の灯をともした。

使命感 胸に

 福岡の自宅から神戸に戻れたのは震災から10日後だった。直行したのは神戸市役所。ロビーは被災者でいっぱいだった。痛々しさと生々しさ。お見舞いの意味もこめてみなさんと握手をしていたら、「頑張ってください」と言われた。住むことや食べることを心配しなければならない状況で、「頑張ってね」と言われる。「頑張らなきゃ」と思ったな。

    ◆

 ホームゲームをやるとすれば、周辺の地域と思っていたが、宮内(義彦)オーナーが「こういうときだからこそ」と神戸での開催を決めた。交通網も整備されていなかったが、決断をした宮内さんは偉かったと思う。

 スタジアムに来ることさえ難しい状況でファンは集まった。今はグラウンドとスタンドの一体感をつくるため、メジャー式の球場になっているが、あんな取って付けたものじゃない。当時は本当に一緒にやっていた。(ベンチ入り選手の)25人で戦っているのではなく、何万、何千人で相手を圧倒した。

 選手からも自発的に「神戸のために」という話が出てきた。地元は大変なのに野球をさせてもらっている。「がんばろう神戸」のワッペンもあるが、自分たちはどうしたらいいか、という気持ちが自然に芽生えた。

    ◆

 コンディションは最悪だった。優勝できたことが不思議なぐらい。当時はおとなしい子ばかりで頼りなかった。それが気持ち一つで変わる。人間の瀬戸際の強さを感じた。

 プロ野球選手が気持ちを一つにするなんてなかなか難しいこと。復興への思いが団結心を生んだ。すごいと思った。みなさんから「元気づけられた」と言われたが、逆だった。神戸で試合をしていなければ、絶対にリーグ優勝はなかった。

 使命感があったのだと思う。普通、優勝は球団のためであり、選手のためのもの。影響を及ぼす範囲は小さい。だが、95年は社会的意義があった。通常の優勝の通念とはまるで違った。

    ◆

 10年が過ぎて神戸は静かになった。あのころの雰囲気も薄れた。熱気を取り戻さなければ。僕自身、球界を卒業したつもりだったが、感動や興奮が、復帰への思いを駆り立てた。合併して融合、融和が大事になるが、オリックスとしての原点は神戸だ。神戸で熱くなれずに大阪で熱くなれるはずがない。合併球団でもあの精神を受け継いでいきたい。

 昨年、球界再編でさまざまな問題が出た。選手自身、大変だったと思うが、こういうときだからこそ、使命感を持たなければいけない。95年も強力なチームではなかったが、それでも勝った。今年も同じ。10年前にもらったパワーを思い出して、熱く戦いたい。

(聞き手・松本大輔、写真・三浦拓也)

街が昔の景観に戻り、新しい街づくりの方向性も見えてきた。当時の大変さは緩和され、みなさんが元気を取り戻してきたと感じる。ただ、生死にかかわる出来事だった。平和だからこそ、あの状況をしのいできたことを時々は思い出さないといけない。

略歴 おおぎ・あきら 福岡・東筑高から1954年、西鉄(現・西武)入団。現役引退後、コーチを経て88年、近鉄監督に就任し、89年にリーグ優勝。94年、オリックス監督に就任し、リーグ優勝2度、日本一1度。04年、合併新球団オリックス・バファローズの初代監督に就いた。野茂英雄、イチローら数多くの大リーガーを育て、「仰木マジック」と呼ばれる手腕が高い評価を集める。同年に野球殿堂入り。69歳。福岡県出身。

2005/1/12
 

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