阪神・淡路大震災から丸十一年になる。大きな節目だった昨年に比べ、まちも人の動きも静かにみえる。しかし、いまなお「日常」を取り戻せない人がいる。形の上では戻っても、復興を実感できない人もいる。心の復興は人口増や経済指標で測れない。そんな格差、なお満たされない部分を乗り越える手立てを考えていきたい。
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神戸市長田区の野田北部地区。
震災後、復興まちづくりの記録映画が撮られたこともあって、全国の注目を集めた。あの日、延焼を食い止めた大国公園の一角に一年あまり前、新しい碑が建った。「野田北部 美しいまち宣言」である。
刻まれているのは、昔ブドウ畑だったまちの歴史、震災の痛手と復興に向けた住民らの努力…。だが、それだけではない。
「そやけど気がついてみたら、あっちこっちで、犬や猫の糞(ふん)はほったらかしやし、迷惑駐輪や違法駐車は多いし、ポイ捨てのゴミやタバコの吸殻はあるし…。一体どうなっとんやろ?」
無我夢中で頑張る時期が過ぎ、美しく整備された街並みで、ふと足元をみたときの思いが率直につづられている。
野田北部のまちづくりに限らず、私たちの復興はこの十一年間、一直線に進んできたわけではない。個人の生活再建や産業復興をみても、紆余曲折(うよきょくせつ)や中だるみがあり、努力が報われなかった事例も少なくない。
被災直後は、つらい中にも連帯感や使命感があった。だが、それを維持し続けるのは難しい。復興の格差が顕著になり、共通の目標が見えにくくなればなるほど、取り残されたように感じたり、いままでの努力の意味が分からなくなったりする。
十一回目の1・17を迎えて、そんな思いにとらわれている人が多いのではないか。被災地の現状を見据え、あらためて復興とは何かを問い直したい。
日常に軟着陸させる
まちづくりでは、一時期の盛り上がりをどう日常活動に“軟着陸”させるかが大きな課題である。震災後、各地にできた「まちづくり協議会」で、それができたところはあまり多くない。
そんな中で、野田北の宣言は続く。
「ここらでもういっぺん、みんなで一緒に考え、やってみませんか!」
犬猫の糞を始末する。迷惑駐輪やポイ捨てをしない。そんな当たり前のマナーを守ることを宣言し、「みんなも一緒に協力してや」と呼びかける。身近な課題の解決にこそ、復興まちづくりで培ったものが生かせる。そこに次への道筋が見えてきた。
昨年六月、官民協働で「美しいまち」を実現するため、神戸市と「パートナーシップ協定」を結んだ。駅前駐輪場の指定管理者になるなど、地域経営を視野に入れた新たな展開を目指す。
いま「野田北ふるさとネット」の事務局では二人の若者が働く。協定に基づき市から派遣されたコンサルタントと、地域組織でお金を出し合って雇用した専従スタッフだ。被災直後の修羅場を知らない彼らが、まちの絆(きずな)を結び直すことに大きな役割を果たしている。
一部の役員が生活を犠牲にしながら頑張るやり方では長続きしない。若い専従スタッフの存在は、持続可能なまちづくりに転換する復興の一つの姿を示している。 兵庫県の井戸知事は、今年も「復興宣言」はしないと明言した。心の傷や高齢者の見守りなどの課題を背負いながら、経験や教訓を発信し続ける姿勢は大切だ。
人助けから癒やしも
実際、被災した人たちの傷はまだ癒えていない。復興住宅の高齢化率は44・4%に達する。必死で再建した商店や工場を不況で閉鎖せざるを得ない人たちもいる。厳しい現実から目をそらしてはならない。
心の復興は長期的な課題だ。ヒロシマやナガサキでは六十年を経て、ようやく被爆体験を話せる人もいるという。
阪神・淡路でも一律の「幕引き」はせず、それぞれの癒やしの時間を見守る必要がある。痛みや弱さも受け入れながら、さまざまな復興の形を模索したい。
震災で失ったものを完全に取り戻すことはできないが、同じように苦しい目に遭った人を助けることで、逆に癒やされる場合も多い。一昨年に中越地震が起きたとき、阪神・淡路の被災者はわがことのように心を痛め、支援や二次被害防止に自分たちの経験を積極的に生かそうとした。
自然災害で苦しむ人を、少しでも減らしたい。防災・減災対策においても、復旧・復興の制度充実においても、まだまだ声をあげていかねばならないことがあるはずだ。そんな「被災地責任」を果たしていくことが、心の復興にもつながっていく。
2006/1/17