未明の雨はやみ、静かな夜が明けた。一月十七日午前五時四十六分、街に祈りが満ちる。亡き人々と言葉を交わす。阪神・淡路大震災から丸十一年。あの日、幼子だった世代も自らの体験を見詰め、思いを語り始めた。神戸市の「追悼の集い」では、両親と兄を失った中学生が、育ててくれた祖父母とすべての人に語りかけた。「今までありがとう。これからもよろしく」-。六千四百三十四人の命が失われた体験を胸に、私たちは十二年目を歩む。花の香りに包まれた慰霊碑の前で、命を守る誓いを新たにして。
暗闇に「1・17モリ」の文字が浮かぶ神戸市東灘区森南町の森公園。森地区で亡くなった百七人と同じ数のろうそくが揺れる。昨年完成した慰霊碑の前で、玉造伸子さん(73)は夫の正さん=当時(69)=に「元気でやってます」と語り掛けた。
震災後、五人の孫ができた。夫の写真を持ち、家族や友人と旅行をした。「でも、ここに来ると、夫はもういないとあらためて思います」
千本のろうそくが揺れる同市長田区御蔵通の御蔵北公園。同市須磨区の寺田孝さん(66)は、人の輪から離れた場所で長女弘美さん=当時(30)=の遺影に手を合わせた。「十年で気持ちを切り替えました。今はここに来るのが楽しみ。娘に会えるから」とつぶやいた。
遺影の前のろうそくが風で消えると、慌ててしゃがみこみ、慈しむように灯をともした。
神戸・三宮の東遊園地。十歳だった同級生の女の子を失った芦屋市の大学生坂上梓さん(20)は、慰霊と復興のモニュメントに献花し、そっと手を合わせた。
震災前日の夜、坂上さんの自宅に泊まり込みで遊びに来た。「また会おうね」が最後の言葉になった。「私は忘れません。彼女の分も精いっぱい生きようと思う」
復興市街地再開発の完了で昨年新設されたJR六甲道駅南の防災公園。新しい慰霊碑の前で初めて追悼式が開かれた。母親すずゑさん=当時(88)=を亡くした上野貞冶さん(76)は、歳月を表す十一本のろうそくに点火した。「悲しみは胸の内にしまい、無我夢中でまちづくりに走り回った。器はできたけど、人の結びつきも商店のにぎわいもこれからが正念場です」
千八十四人の犠牲者の名が刻まれた西宮市奥畑の西宮震災記念碑公園。母親の川口里枝さん=当時(53)=を亡くした宝塚市の中学教諭長瀬由加さん(42)は、家族三人と手を合わせた。
生徒に震災体験を話すことにためらいがあった。だが、歳月とともに、語り継ぐ必要を感じるようになった。「私の心の復興もまだ途中。生徒に語ることで、母の死と向き合っていきます」
2006/1/17