「希望の灯(あか)り」は神戸の東遊園地にある。阪神・淡路大震災の犠牲者を悼み、助け合うことの大事さを語り継ぐ象徴として燃え続ける◆その火をランタンに移して持ち帰るのが「分灯」だ。ことしは、昨夕までに四十件を超す分灯があった。運ばれる先はさまざまで、グループもあれば個人もいる。それぞれ、小さな灯りに十一年前の「あの日」を思う。加古川市立神吉中学校もそんな分灯先の一つだ◆被災地の学校ではない。しかし震災が奪ったもの、震災から得たことを自分たちの日々に重ねてみないか。学ぶことがたくさんあるのではないか。生徒会と教師がそう話し合い、〇二年から「1・17」の集まりを始めた。以来、分灯を欠かさない◆きょう、六百四十四人の生徒が、ランタンから移したロウソクの火を見ながら、追悼の集まりを開く。大切な家族や友人のことを考える。災害が絶えない現実に思いをはせる。「強く生きる」。灯りにそんな願いを込めたい、と教師は言った◆ささやかでも意義のある取り組みだろう。ときがたつほどに、少しずつ少しずつ記憶は薄れる。しかし、きょう一日はちょっと立ち止まってみたい。あの日、なにを思ったか。なにに怒ったか。小さな灯りは、この十一年間を振り返らせてくれる◆官邸や国会も灯りを持ち帰ってほしかった。大震災にかかわったすべての官公庁や団体が分灯を机に置いたなら、その周りでどんな会話が生まれるだろうか。大震災をもっと手繰り寄せたい。丸十一年になる「1・17」に、そう願う。
2006/1/17