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降りしきる雨、揺れる炎。阪神・淡路大震災から丸12年。静寂に包まれた被災地で人々は祈りをささげた=17日午前5時46分、神戸市中央区、東遊園地(撮影・三津山朋彦)
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降りしきる雨、揺れる炎。阪神・淡路大震災から丸12年。静寂に包まれた被災地で人々は祈りをささげた=17日午前5時46分、神戸市中央区、東遊園地(撮影・三津山朋彦)

降りしきる雨、揺れる炎。阪神・淡路大震災から丸12年。静寂に包まれた被災地で人々は祈りをささげた=17日午前5時46分、神戸市中央区、東遊園地(撮影・三津山朋彦)

降りしきる雨、揺れる炎。阪神・淡路大震災から丸12年。静寂に包まれた被災地で人々は祈りをささげた=17日午前5時46分、神戸市中央区、東遊園地(撮影・三津山朋彦)

 十三回忌の朝は雨で明けた。阪神・淡路大震災から十二年。一月十七日午前五時四十六分。ろうそくの炎がぬかるんだ足元を照らす。雨で消える灯(ひ)を何度も何度もつけ直す。つえをついて。赤ん坊を抱いて。一つの傘を分け合って…。六千四百三十四人の魂が、雨粒となって私たちに語りかける。激しく降るほどに、亡き人が近づく。雨は冷たいけれど、どこか温かい。祈りの時間が流れ、雨が少しずつ遠ざかる。命と触れ合う一日。生きる力をもらい、私たちはまた新しい歩みを始める。

心が落ち着く

 「ここに来ると心が落ち着く。また一年、頑張ろうという気になる」

 灯火が揺れる神戸市中央区の東遊園地。母と兄を亡くした神戸市東灘区の工藤末美さん(52)は、定期入れに挟んだ母・文代さん=当時(78)=の写真を見つめ、兄・増雄さん=同(42)=に「今年も見守って」と呼び掛けた。

 工藤さんの自宅も全壊したが、二年後に再建。大黒柱には「母と兄」と刻み、「今も一緒に暮らしている気がします」。

私の支えです

 慰霊碑にあふれるほどの花が供えられた神戸市東灘区の中之町公園。暗闇の中、一人、また一人、訪れては祈る。

 「帰りたい。でも、新しくなっていく町を見ると、母との思い出が消えていくようで、つらい」。母の悦子さん=当時(82)=を失った那谷幸子さん(66)はつぶやいた。

 同区の自宅が全壊。借地で再建がかなわず、明石市に転居した。「母の位牌があったから十二年間生きてこられた。これからも私の支えです」

思い出すと…

 雨よけのテントの下で、遺族らが熱心に祈る神戸市兵庫区の川池公園。同区の中居政成さん(75)は、慰霊碑の前で静かに手を合わせた。

 自宅が全壊、妻暁子さん=当時(62)=が梁(はり)の下敷きとなった。必死に助け出そうとしたが、直後の余震で家が崩壊した。

 「家内のことを思い出すとつらいので、普段の生活の中では忘れるように努めている。自然に流れていかんと仕方ない」

孫も元気だよ

 西宮市奥畑の西宮震災記念碑公園には午前八時までに約三百人が訪れ、千八十五人の名が刻まれた「犠牲者追悼之碑」の前で手を合わせた。

 「三人の孫も元気だよ」。同市門前町の自営業奥田敏和さん(65)は菊の花一輪を供え、妻の博子さん=当時(54)=の名前を見つめた。一年間の出来事を毎年、ここで報告する。「家のことをきちんとこなす妻だった。一人暮らしの私を心配しているでしょうから」

忘れんでくれ

 「生きたいのに逝(い)った者がおることを、忘れんでくれ」

 黙とうと合唱がささげられた淡路市の北淡震災記念公園。自宅が全壊し母と妻を亡くした同市の真木正勝さん(69)は、言葉を選びながら語った。

 暗闇の中、妻が弱々しく発した最後の言葉が忘れられない。「おさえられて、いごかれへんねん(動けない)」。尋常でなかったつらさを思い出し、遠くに目をやった。

2007/1/17
 

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