阪神・淡路大震災の発生から、今日で丸十二年となる。昨日と今日で何かが変わるわけではないが、目を閉じて、震災からの年月に思いを寄せたい日である◆神戸市中央区にある「人と防災未来センター」で、絵手紙展(二十八日まで)を見た。震災の教訓を伝える作品の中で二点が印象に残った。まぶたに映るものは人それぞれだろうが、集約すればこの二つかもしれない◆少し大きめの用紙に書かれたのは、公園の隅にある公衆電話での光景である。震災の直後、肉親や知人らへ無事を知らせたい人で、公衆電話には列ができた。十円玉を握りしめて順番を待つその列で、こんなことがあった◆話し終えた人が次の人へ、「良かったら、使って」と十円玉を渡した。その人が次の人へ、さらに次の人へ。並んだ人の手のひらで温められながら、十円玉が移っていった。「人はひとりでは生きられない。ひとりじゃないよと感じたあの日」と、作者は書いている◆もう一つは「救えた命が、いくつ失われただろ」としたためた絵手紙である。地震にもろかった家屋のことか、救急や医療の問題を指しているのか分からない。だが震災からどれほど時間がたとうと、「なぜ」と問い続けたくなる気持ちは分かる◆「被災者意識はなくなった」。二年前の県の調査で、八割近い人がこう答えている。今ならもっと多いだろう。しかし心のひだの奥には、あのころに感じた人の優しさ、消えない悲しみと怒りの塊がある。ひとときそれを思い起こし、私たちは再び歩き始める。
2007/1/17