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社説 大震災13年 記憶の継承 体験と教訓をなお語り続けたい
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 阪神・淡路大震災から丸十三年となる朝を迎えた。多くの人々が早朝から集い、手を合わせる。きょう一日、被災地はまた、新たな祈りのときを重ねる。

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 「頑張ろや」「負けへんで」。かつてお互いを励まし合った言葉が、今は遠く響く。そう感じる人は少なくないだろう。壊滅状態だった市街地には高層ビルが林立し、多くの商業地や観光地は、震災前のにぎわいと変わらなくなった。「震災」はますます見えにくくなっている。

 しかし、まだ人々の傷は十分に癒えてはいない。目を凝らせば、復興の途上にあるまちの姿が浮かび上がる。

 あの地震を境に、日本列島は「地震多発時代」に突入したという。だとすれば、今、私たちがなすべきは、自らの「震災」を風化させることなく、体験や教訓をしっかり世に語り続けることではないか。記憶が薄れようとする流れにあらがい、声を上げ続けねばならない。それが十四年目に入る被災地の使命と肝に銘じたい。

追悼と鎮魂、いまも

 神戸・三宮の東遊園地の一角に、市民の募金によって建設された「慰霊と復興のモニュメント」がある。一月十七日、その場所は震災の犠牲者をしのぶ追悼の場となり、早朝から人の姿が絶えない。

 一年前のきょう、神戸・三宮の東遊園地の入り口でたたずむ若い夫婦の姿を見かけた。その夫婦は、鎮魂のロウソクが並ぶ広場に足を踏み入れたいが、できない。

 そんな夫婦を、ボランティアの女性がそっと導き入れた。「大切な人を亡くして…」。夫婦はそれだけ話すと、こらえるようにその場で目を閉じたという。

 被災者は今年も、それぞれの思いを胸に「1・17」を迎える。十三年たってようやく胸の内を口にできた人がいるだろう。十三年たっても、まだ話せない人もいる。心の傷の痛みは決して一様ではない。

 被災者の心を何らかのモノに託して後世に伝える取り組みが、各地で進む。犠牲者を悼み、体験を後世に伝える「震災モニュメント」の設置である。

 慰霊碑、地蔵、焼け残った電柱、震災の時刻で止まった時計…。一つ一つがあのとき、その場所であった出来事を伝える。モニュメントは、地元の人たちや関係者がさまざまな思いを持ち寄るための「心の器」といってもいい。

 その数は、今も少しずつ増え続ける。神戸のある特定非営利活動法人(NPO)の調査では、被災地内外で約二百八十カ所にも上るそうだ。大半が神戸市内だが、海の向こう、中国・無錫市でも、中国人犠牲者のためのモニュメントが建てられた。

 東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」では、遺族の希望で、地下の銘板に震災で亡くなった四千八百三十八人の名前が刻まれている。その数も年々増え続け、昨年末、新たに二十三人が加わった。

 銘板には、「震災関連死」と認定されず、公式発表された六千四百三十四人に含まれない百八十七人の名も刻まれる。

 「思い返したくない」ということだろうか。公式犠牲者の遺族には名前の刻印を固辞する例も少なくない。その一方で、「犠牲者」になれなかった肉親の名を記録にとどめたいと願う人たちがいる。こうした現実を、あらためて胸に刻みたい。

社会を変革する力に

 ただ、この十三年間、被災地が着々と復興の道を歩んできたことも事実である。被災地全体では、人口が震災前を上回り、商・工・農の地域内総生産は〇六年度、初めて震災前を超えた。観光客数も、震災前の実績を更新している。

 このような数字だけを見ると、「震災」は過去のものという見方もできよう。

 しかし、被災地内にも格差がある。神戸市長田区や淡路の被災地などは、人口が震災前よりも減少したままだ。

 また、地域内総生産の伸び率も、被災地は全国平均より10ポイントほど低い。神戸市内には今なお、甲子園球場二十個分の空き地が残る。いたるところで「震災」が地域に影を落とす。復興への課題は山積している。それも、十三年たった被災地の姿だ。

 危惧(きぐ)されるのは、被災地の私たちがそうした問題に次第に関心を向けなくなることである。自らの「震災」の記憶が薄れれば、他の災害への関心が低下する。そうなると、次の災害に対する備えもおろそかになる。決して杞憂(きゆう)とはいえない。

 事実、県が設けた住宅再建共済制度の加入率は6%ほどにとどまる。地震保険の加入率にいたっては全国三十七位の低さである。住宅の耐震改修もあまり進まない。県西部に山崎断層が走り、南海・東南海地震による大被害も予測されるだけに、「もう大丈夫」との安心や楽観は禁物だ。

 昨年、被災者生活再建支援法が議員立法で改正され、住宅本体再建への公費支援が実現した。原動力となったのは、阪神・淡路の被災地から上った、特別立法を求めるうねりである。十年余の年月を要したとはいえ、被災地の声が国政を突き動かした。その重みをもっと自覚していい。

 未曾有の被害を体験した阪神・淡路地域には、社会をよりよい方向へと動かす力があると信じたい。その原点である「震災」を、さまざまな言葉で語り続けたい。

2008/1/17
 

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