あの日、あのとき、神戸は気温三・四度、北東の風四・六メートル。おそらく同じくらいの冷え込みになるだろう、今日十七日、阪神・淡路大震災から十三年となる◆心を重くした記憶は薄れていく。街に残る被災の傷跡も減った。大震災は少しずつ遠ざかるが、一月十七日になると、いくつかの言葉をどうしても思いだす。例えば紙面で読んだり取材先で聞いたりした、こんな言葉◆消火用の水がなくて、被災者から怒鳴られた消防士はこう語った。「言われる私らもつらいが、言う方もつらい」。それを伝える私たちだってつらい、と付け加えたかった。敗北感に打ちのめされたというこの消防士は、元気を取り戻したろうか◆古さと新しさが入り交じって町並みは生きる。震災後は画一的になりがちと、不動産業の男性は言った。「お客さんの要望とはいえ、自分でしとって反省するんです」。それからさらに月日がたって、彼はどんな思いで被災地を見ているのか◆震災一年の一月十七日、被災地にたくさんの報道陣が入った。テレビで見慣れた顔ぶれがマイクを握る光景に、自宅を失ったパン屋さんはつぶやいた。「あしたになったら、だれもこんやろな」。そう言わせてはいけないと、自戒をこめて聞いた◆ふと目が覚め、時計を見ると、「午前五時四十六分」。そんな朝が続いていると、取材で会った年配の女性が話していた。つらい体験を強いた震災発生の時刻である。それから十三年。穏やかに、ゆったりと目の覚める朝が彼女に戻っていてほしいと、願う。
2008/1/17