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社説 震災14年 未来への責任 なお残る課題を問い続けたい
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鎮魂の「1・17」=神戸市内
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鎮魂の「1・17」=神戸市内

鎮魂の「1・17」=神戸市内

鎮魂の「1・17」=神戸市内

 阪神・淡路大震災の被災地に「1・17」が巡ってきた。記憶と重ね合わせ、深い感慨を覚える人は多いだろう。たしかに傷跡は見えにくくなった。だが、課題が消えることはない。世界経済危機が被災地にも影を落とし、社会の仕組みが揺らぐ今、震災を根本から見つめ直してみるときではないか。未来に語り継ぐためには、さまざまな視点で問い続けることが不可欠だ。

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 震災十四年を前にした寒い日、それでもJR鷹取駅の近くにある大国公園には、お年寄りの姿が絶えなかった。

 まちには新しい三階建ての家が目立つ。公園の東側は、復興土地区画整理事業が行われた地区。西側の路地には「さるびあ通り」や「オリーブ通り」などの名が付く。ここを訪れて被災直後の惨状を聞いても、にわかには信じられないだろう。

 住民の数はほぼ元に戻り、三分の一は新しい人たちだ。古くからの住民は、若い世代が増えたことがうれしいと話す。

 家並みと共に人と人のつながりがよみがえり、広がっていってこそ、まちの復興といえる。そのための努力が続く。

「百年に一度」の今

 区画整理は復興事業の柱である。神戸市内で最後に残る新長田駅北地区も、来年度中には事業が終わる見通しだ。

 戻れない人はいる。今後、各地区でコミュニティーづくりの真価も問われる。被災地全体を見ても、なお自立への支援が要る高齢者らがいる。「最後の一人まで」という願いが果たされたとはいえない。

 それでも、この十四年間で多くの課題が乗り越えられてきた。区画整理の完了は一つの証しだろう。それとともに強まってきたのは「風化」への懸念である。

 体験を次世代に伝える責任が、ますます重くなっている。そのためにも、問うべきときどきの課題を忘れてはならない。

 「何を得て、何をなくしてきたのか。身の回りから振り返りたい」

 「百年に一度」とされる経済危機を受けた年頭社説で、私たちはこう提起した。競争や効率優先に傾くあまり、暮らしにかかわる部分からも信頼、きずなを失わせたのではないか。そんな疑問からだ。

 今あるものを、もう一段深く掘り下げて問い直す。この機会に、同じ視線で震災を振り返ってみてはどうだろう。見落としたり、片づいたはずが実は終わっていなかったりする問題が見えてくるかもしれない。

 震災が明らかにした社会の弱点として、住宅の安全性がある。身を守るはずの家が逆に「凶器」になった。家づくりで一番大切にすべき人間へのまなざしが十分ではなかった。痛恨の犠牲から得た教訓である。

 住まいの安全性向上が焦点となり、耐震補強の制度も生まれた。歩みは遅いが、経験を無にしない取り組みは進んできた。

 問題は、根幹に据えるべき「いのち」の重みが、仕組みや意識にどこまで浸透してきたかである。耳を疑った先の耐震偽装事件は一つの答えだろう。形を整えるだけでは、教訓が生きたとは言えない。

 十四年前の朝を思い出してみたい。目を覆う被害のなかでも、横倒しになった高速道路はとりわけ衝撃的だった。今、あの光景に「効率優先」の言葉が重ならないか。

 液状化した人工島の記憶の前では「自然との共生」という、全国の開発現場で飛び交うかけ声が遠いものに聞こえないか。

しあわせ運ぶため

 これでよかったのか。多くがそう感じながら、目の前の生活再建や復旧・復興に追われた。十分に問われないまま、やがて薄れていった疑問もあるに違いない。

 これもまた、長い復興の過程で積み残してきた重い宿題というべきだろう。

 高齢化した都市部を直撃した阪神・淡路大震災は、戦後システムがもつ問題点を突きつけた。都市づくりのあり方から被災者の支援まで、多岐にわたる。

 列島が「地震多発時代」に入ったとされる今、十四年で得た成果や残る課題を広く発信したい。私たちの務めである。

 きょう一日、被災地は追悼の祈りに包まれ、小学生たちによる「しあわせ運べるように」の歌声が流れるだろう。

 神戸の復興を願う歌が震災を知らない子どもたちに歌い継がれる。他の災害被災地にも伝えられ、人々を勇気づける。

 世代や地域を超えた支え合いや経験、教訓の共有を確かなものにするために、問い続ける姿勢を確認する日としたい。

2009/1/17
 

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