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長女瞳ちゃんを亡くした竹場満さん(左)。2歳の三女美衣ちゃんと竹灯籠をともした=17日午前6時26分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大森 武)
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長女瞳ちゃんを亡くした竹場満さん(左)。2歳の三女美衣ちゃんと竹灯籠をともした=17日午前6時26分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大森 武)

長女瞳ちゃんを亡くした竹場満さん(左)。2歳の三女美衣ちゃんと竹灯籠をともした=17日午前6時26分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大森 武)

長女瞳ちゃんを亡くした竹場満さん(左)。2歳の三女美衣ちゃんと竹灯籠をともした=17日午前6時26分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大森 武)

 夜明け前の静寂の中、ともされた鎮魂の灯に、数え切れない悲しみが浮かび上がる。一月十七日午前五時四十六分。阪神・淡路大震災から丸十四年を迎えた被災地は、六千四百三十四人に上る犠牲者への祈りに包まれた。地震のつめ跡が次第に消え、未曾有の災害も風化の波にさらされている。一方で復興の課題は、超高齢社会、急速な景気の悪化とも絡み合い、被災地に今なお重くのしかかる。あの日を、奪われた尊い命の一つ一つを忘れない。目を閉じ、手を合わせながら心に強く誓った。

各地で追悼式

「体験生かす」 神戸市中央区・東遊園地

 神戸・三宮の東遊園地。週末に重なり、昨年より千人多い約五千五百人が黙とうした。神戸市灘区千旦通一の会社員竹場満さん(43)は、竹灯籠(たけとうろう)を前に全壊した妻の実家で亡くなった長女瞳ちゃん=当時(1つ)=に話し掛けた。「何もできなくてごめんね」

 震災を知らない四人の子どもたちに伝えたいと、二年前から足を運ぶ。「僕らの体験がこの子たちの時代に役立てば」

亡き母を思う 神戸市灘区・琵琶町公園

 神戸市灘区琵琶町の琵琶町公園。六十一人の名が刻まれた慰霊碑前で、遺族ら約百人が祈った。電気店従業員の和住(わずみ)努さん(63)は自宅が全壊、母の春江さん=当時(82)=を失った。旅行が好きでいつも優しかった母。「体が丈夫で、病気もしなかった。地震さえなければ、元気でもっと長生きできたはずなのに…」。あらためて無念さをかみしめた。

大勢の力得て 神戸市長田区・御蔵北公園

 ろうそくの灯を前に、約三百人が静かに目を閉じる。祈りに包まれた神戸市長田区の御蔵北公園。母クニ子さん=当時(52)=を亡くした同区腕塚町三の宇都(うと)裕明さん(40)は、別の遺族に誘われ、慰霊祭に初めて参加した。目を閉じると、友達同士みたいに冗談を言い合った母の笑顔が浮かんだ。「こんなに大勢の人が亡くなった人を思い祈り続けている。力をもらった感じです」

「手紙」を合唱 淡路市・北淡震災記念公園

 淡路市の北淡震災記念公園で、追悼式典に参加した同市浅野南の警備員野島洋子さん(50)は、一人暮らしをしていた祖母ちよさん=当時(83)=を亡くした。式典では、長男秀和君(12)と一緒に「手紙~拝啓十五の君へ~」を合唱。「今年もおばあちゃんに『元気でやっているよ』と伝えた。人と人とのつながり、命の大切さを胸に生きていきたい」

今年も家族で 西宮市・震災記念碑公園

 西宮市内の犠牲者千八十五人の名が刻まれた同市奥畑の震災記念碑公園。夫の忠司さん=当時(54)=を亡くした同市段上町一の松本富江さん(64)は「今年も家族で来たよ」と語り掛けた。忠司さんは一月十六日が誕生日。「地震の前日は友達と一緒にお酒を飲んで祝ってもらった」という。震災後に生まれた孫二人は小学四年生と幼稚園児。「ここを訪れることで孫たちにも震災のことを伝えられたら」と話した。

2009/1/17
 

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