ログハウス風の建物の壁一面に、足の木型がずらりと並ぶ。日本では珍しい手製革靴の職人、鈴木幸次(34)が神戸市長田区細田町5に構える工房「スピーゴラ」。創業から9年で、顧客の木型は150人分もたまった。今は注文から納品まで8カ月から1年もかかる。アメリカなど海外にもなじみ客がいる。
「欧州の伝統的な形状に、遊び心や個性を織り込むのが僕のスタイル」と話す鈴木。製品は光沢が豊かでラインが美しく、「まるで宝石」とたたえられる。仮縫いを入念にするため「足が包み込まれるようでよくなじむ」と何足も注文する客が多い。
日本を代表する服飾評論家・故落合正勝に評価され、ファッション雑誌の特集記事にも取り上げられた。雑誌「スーパージャンプ」で連載される人気漫画「王様の仕立て屋」にも、日本を代表する靴職人として紹介されている。
父は、ケミカルシューズの型紙を作るパタンナーだった。鈴木が靴づくりに携わる決意をしたきっかけは、大学1年で遭遇した阪神・淡路大震災。全壊判定を受けた工房で、家族を守るために図を描き続ける父の姿が、心を動かした。
大学中退の後、昼間はケミカルシューズ工場で働き、夜は父から技術を学んだ。「靴づくりを極めたい」と思い、1997年にイタリアへ留学した。
靴の本場で、素材の皮から完成品を一人で作り上げる手製靴職人と偶然出会った。大量生産の分業しか知らない鈴木は、その技術に魅了された。志願して工房で働くうち、目標が決まった。「この技術を日本に持って帰り、独立しよう」。ほとんど休まず腕を磨いた。
留学から3年後に帰国した。長田のまちは区画整理が進んでマンションが立ち並び、町工場は減っていた。
しかし、仕事を始めると知り合いの地元経営者が次々と訪れ、励ましてくれた。
「食べていけないやろ」「1日に何足できるんや」
日本では手に入りにくい貴重な工具も、地元のケミカル業者が分けてくれた。「まちは変わったが、人の温かいつながりは昔のまま」。長田のまちが、創業を支えてくれた。
今、千葉県から弟子入りした20代の若手職人を抱える。靴職人・鈴木にあこがれる若者も次々と訪れる。そんな相手に語るときがある。「長田には、ものづくりの精神が根付いている」。(敬称略、三宅晃貴)
<ケミカルシューズ業界の震災被害> 阪神・淡路大震災では、日本ケミカルシューズ工業組合に加入する会員企業の過半数が全壊・全焼の被害を受けた。震災直前の1994年には660億円(企業数225社、従業員数6444人)あった生産額は、95年に285億円(214社、3640人)まで激減した。翌年には回復し始めたが、安い中国製品の輸入増や景気低迷の影響などで2000年からは下降傾向が続いている。
2010/1/15