真ん丸であどけない地蔵が、満面の笑みをたたえていた。神戸市長田区北部の住宅街。阪神・淡路大震災で亡くなった明石拓也ちゃん(当時4カ月)を悼み、両親が自宅跡地に安置した。
1995年1月17日、激しい揺れが高台の傾斜地を襲い、木造2階建ての家は地盤ごと崩れ落ちた。父健司さんと兄、姉にけがは無かった。母元美さんは足をはりに挟まれたが、健司さんと近所の人らが助け出した。拓也ちゃんだけが昼前まで見つからなかった。
「小さな命がここにあった証しがほしい」。一周忌を控え、両親はわが子の写真を基に彫刻家に地蔵の制作を依頼した。
自宅跡は今も更地のまま。家族は毎年8月23日、地蔵盆を開き、地域の子どもたちにお菓子を振る舞う。健司さんは話す。「拓也の思い出が残る唯一の場所。いつか帰って家を再建したい」
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あの日の記憶をとどめた場所がある。忘れないため、伝えるため。震災から16年となる街を歩いた。(映像写真部 笠原次郎)
2011/1/12