一部が黒くすすけた石塀がある。激しい揺れと大火で9割の建物が全壊全焼し約100人が亡くなった神戸市長田区の「鷹取東第一地区」。同地区に隣接する満福寺の塀に残った猛火の痕跡だ。
寺の敷地内の池には、多くのカメがいたという。それにちなみ昭和初期、木曽川から六角形の甲羅形の石を運び、塀が築かれた。満福寺は「亀の甲寺」として親しまれる。
大地震直後の午前6時ごろ、近くで火の手が上がった。炎は寺に迫ったが、午後3時ごろ、それを押し戻すかのように突風が吹き、難を逃れた。
黒ずんだ塀は一度だけ、洗剤を付け、たわしでこすられたことがある。しかし、まったく落ちなかったという。
自宅を失った親友、大火の犠牲になった知人…。震災を語るとき、多くの人の面影がよぎる。
街並みはがらりと変わり、震災の傷痕は消えつつある。しかし、志保見泰賢(しほみ たいけん)住職(38)は「あの体験を忘れないために、塀はずっと残さなければならない」と話す。(映像写真部 笠原次郎)
2011/1/14