きょう阪神・淡路大震災から17年を迎えた。傷痕は見えにくくなったが、まちの風景が変わった地域は多い。
神戸市長田区のJR新長田駅北側にある広さ1ヘクタールの水笠通公園は親子連れの姿が目立つ。周囲にはマンションが林立し、新しい一戸建て住宅が並ぶ。
震災後、兵庫県内の20地区で復興土地区画整理事業が進められた。唯一残っていた新長田駅北地区は東日本大震災直後の昨年3月28日に完了した。地震から16年余りを経て、全ての事業が終わった。
「長すぎた」。地区の東部まちづくり協議会連合会長の小山象平さん(66)は感想を漏らす。もっと事業が早く進んでいたなら、より多くの住民が地域内で暮らすことができたとの思いがある。
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約8割の建物が全半壊した地域には、安全なまちを目指して広い公園や道路が整備された。住環境向上や駅に近い立地で、若い家族も増えてきた。
だが、負の側面もある。下町の人間関係は薄くなった。「まちにミシンの音が響かなくなった」と小山さんは話す。震災前、ケミカルシューズを作る小さな工場がひしめいていたが、激減した。商店は「2割も残っていない」という。
住民参加でまちづくりを進めてきた。粘り強く話し合い、孫の代に良かったといわれるまちを目指した。ただ、区画整理は基本的に土地の権利者が対象の事業のため、借家人らは残るのが難しい。事業の長期化で商工業者は待ちきれずに地区外に移転してしまう。コミュニティーや地域の活力の維持が課題だ。
街並みはきれいになったが、住民には複雑な思いが残る。
東北へ人の支援を
地域をどう再生するのか。東日本大震災から10カ月が過ぎ、東北の被災地が直面する課題である。自治体の復興計画はおおむねまとまったが、具体的なまちづくりはこれからだ。
神戸大の塩崎賢明教授は、岩手県大船渡市で復興計画づくりの委員長を務めた。死者・行方不明者は400人を超え、市内の建物の約3割が被災した。
昨年10月にまとまった計画は、2メートル以上の浸水が見込まれる地域の住宅立地を規制し、高台移転などの事業を盛り込んだ。今後、地区ごと、集落ごとで住宅や仕事の場の確保を考えていく。
塩崎教授は阪神・淡路でまちづくり活動を支援した経験があるが、「比べものにならないほど複雑だ」と指摘する。阪神・淡路では地区内での再建を目指し、道路や公園をどう整備するかが問題だった。今度は津波への「防御のまちづくり」も考える。集団移転も視野に地区ごとに合意形成を図ることになる。
しかし、地元の自治体にはまちづくり事業の経験がある専門職員はほとんどいない。阪神・淡路以上に地域で住民を支援する専門家が必要だ。
自分たちで決める
兵庫県はそうした専門家を独自に派遣している。神戸在住の建築家野崎隆一さんは昨年9月から宮城県気仙沼市の地区を回り、アドバイスを続ける。
仮設住宅の住民らから、集団移転や公営住宅への入居などについて要望や疑問を聞いているが、多いのは「もっと情報がほしい」との声だという。
阪神・淡路では、条例に基づき行政が活動を支援し、専門家が助言するまちづくり協議会を中心に住民主体で協議した。こうした制度自体が東北の市町にはない。まず仕組みをつくることから始めねばならない。
野崎さんは、阪神・淡路ではマンション再建や住宅の共同化に取り組んだ。「高台移転も合意形成のプロセスは同じだ。大切なことは正確な情報。必要なときにきちんと伝えれば解決策に到達できる」という。そのためにも人材面での手厚い支援が欠かせない。
神戸・新長田駅北の小山さんは「まちを再生させるには住民が同じ目標を持つことが大事だ」とアドバイスする。「自分たちで決め、自分たちで動くしかない。しんどいけれど」
区画整理は終わったが、水笠通公園周辺では、住民が緑豊かな「杜(もり)の下町」を掲げてまちづくり協定を結び、建物の高さや用途などを制限する。公園管理にも取り組み、息の長い活動を続ける。
住民の間で利害対立もあるまちづくりは合意に時間がかかる。しかし、支え合いながら、地域の将来について議論を交わした経験は大きな財産でもある。
17年間に培われてきた住民主体の取り組み。それを教訓も含めて東北の被災地に伝える。同時に、高齢者支援やにぎわいづくりなど多くの地域が抱える課題を解決することにも生かしていきたい。
2012/1/17