6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から丸17年を迎えた。「災害列島」に生きる覚悟と命の尊さを、再び思い知らされたこの1年。兵庫県内各地の追悼行事には、昨年3月11日に起きた東日本大震災の遺族や被災者も参加した。午前5時46分、ともに祈り、誓う。あなたを忘れない。震災を忘れない。そして、手を携えて先の長い道のりを歩んでいこう、と。
「この日は必ず家族で過ごす」
「この日は必ず一緒に過ごそう」。高校3年の時、神戸市東灘区魚崎北町の自宅が全壊し、末っ子の小学校6年の弟=当時(12)=を亡くした和歌山県職員蘇理剛志(そり たけし)さん(35)=和歌山市=は今年も両親、上の弟と家族4人で神戸・三宮の東遊園地を訪れた。
父文次郎さん(65)、母裕子さん(57)は震災後移り住んだ宝塚市で、次男(33)は西宮市で暮らす。正月や盆に家族全員がそろわない年も、毎年1月17日は約束しなくても、4人が顔をそろえる。
地震発生時刻を東遊園地で迎え、竹灯籠に手を合わせた後、自宅があった地域を訪ね、大阪府豊中市の墓に行く。
仲良し3兄弟だった。「何をするのも楽しかった」と剛志さん。今も、はしゃいで走り回る弟をつかまえようとする夢をみる。思い出話で笑えるようにもなった。一方、次男は一人静かに弟をしのんできた。
「弟の記憶も震災後の気持ちの変化も家族それぞれ違うけど、心の中に生きている弟への思いが、みんなを一つにする」
震災前まで家族5人で正月に囲んできた重箱を昨春、和歌山県立博物館の市民が思い出の品を披露するコーナーで初めて公開した。
祖母の代から60年以上使われ、自宅のがれきの中から掘り起こした。表面の漆ははがれ、ひびも入っていたが3年前、剛志さんの友人の漆器職人が修復し、蘇理家の食卓で息を吹き返した。
公開を決めたのは、昨年3月の東日本大震災がきっかけだった。「重箱は家族にとって、震災からの再生の象徴。復興への願いを被災地に届けたかった」と振り返る。
「弟と家を失った後、10年後なんて想像もできなかった。町が復興する中で取り残されたような気持ちだった」と剛志さん。「東北の被災地の人たちも、焦らず歩んでほしい」と思いを寄せる。
「思い出したくないけど、忘れたくない」。震災はそんな存在だ。来年も、再来年もずっと4人で大切な日を迎えよう。温かな炎がともるろうそくを手に誓った。(宮本万里子)
2012/1/17