ちゃんと生きよう。阪神・淡路大震災を経験してそう思った。
住んでいた西宮市上ケ原のアパート1階がぺちゃんこになり、隣室の大学生が亡くなった。わずか数メートル離れていただけで彼は即死、自分は無傷。自分に何ができるのか、真剣に考えるようになった。
東日本大震災後、レギュラー出演していたNHKのテレビ番組に、被災障害者から多くの声が寄せられた。
「前途ある人々が亡くなったのに、生き残ってしまった」「自分は生きていていいのか」。そんな内容が何通もあった。
悔しかった。障害があってもなくても、人間は生ある限り前途がある。役割のない人間なんていない。
コミュニティーの空気や今の社会の仕組みが、そういうことを言わせてしまう。震災があったからではない。普段の社会の空気がそうなっている。
阪神・淡路大震災後、災害のたびに「要援護者支援」の課題が議論されてきた。でも、状況はそう変わらない。
災害時だけを考えていても解決しない。重要なのは、障害に関係なく、だれもが自然に日々を営めるコミュニティー。障害者が「生きてていいですか」と言う社会はおかしいと思いませんか。(聞き手・磯辺康子)
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脳性まひで手足が不自由だ。阪神・淡路大震災時は、障害者の自立生活を進める民間団体「メインストリーム協会」(西宮市)副代表。同市内の自宅アパート、職場ともに全壊した。
救出されたのは、地震の約2時間後。近くに住んでいた大家さんが「足の不自由な兄ちゃんが埋まってる」と周囲に知らせてくれた。隣の部屋の大学生は即死だった。僕は仮死状態で生まれ、その時も死にかけているけれど、震災を経験して「生き続けなあかん」と強く思うようになった。
震災後、協会の再建や障害者の支援活動に奔走。約2年間、仮設住宅で暮らした。
作業所などの施設や組織とつながりがある障害者には、災害時も支援が届く。届かないのは、日々の生活でつながりがない人。日常的に孤立しているから災害時も孤立する。重要なのは普段の生活。これは障害者に限った問題ではないと思う。
全国各地で講演し、NHKの障害者情報番組「バリバラ」のレギュラーを務める。災害時の要援護者支援について意見を求められることも多い。
災害時だけを切り離して考えるのでなく、どんなときでも支援を必要とする人に支援が届くことが大切。誰だって足の骨を折れば「要援護者」になる。
阪神・淡路大震災以降、災害のたびに同じ議論を繰り返しているように思う。それでも発信し、人と関係をつくり、街に出て行くしかない。言い続け、思い続けることで耳を傾けてくれる人がいる。
東日本大震災後、出演していたNHKの番組「きらっといきる」(「バリバラ」の前身)に届いた声は、被災地の障害者の厳しい状況を示していた。
統合失調症の視聴者から「薬を飲まないと生きていけない自分は、復興の役に立たない。生きていていいんですか」という声が寄せられた。プロデューサーから、同じような内容のメールが何通もきていると聞いた。
阪神・淡路から16年もたっているのに-と悔しかった。薬を飲みながら暮らしていくことで、伝えられる生き方があるはず。「ゆっくりと自分のペースでいい」「しんどい時はしんどいと言っていい」と伝えられるかもしれない。役割のない人間なんて一人もいないんだ、と画面の向こうに訴えた。
「地域社会で生きるとは」という根源的な問題につながる。
「疎外する気持ち」は誰にでもある。僕にもある。「差別は駄目」と言うのではなく、自分に疎外する気持ちがあると自覚し、その上でどう認め合って生きていくかを考える。そこが重要だと思う。
「福祉」は施しではない。人が人として生きていくための環境整備であり、権利。その原点を見つめなければ、災害時に人の命を守ることもできない。
記事・磯辺康子
写真・斎藤雅志
▽たまき・ゆきのり 1968年、姫路市出身。日本福祉大学卒。メインストリーム協会副代表などを経て、2013年4月から現職。国の社会保障審議会障害者部会委員。西宮市在住。妻、長男、長女の4人家族。
2014/1/16