連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

  • 印刷
たまき・ゆきのり 1968年、姫路市出身。日本福祉大学卒。メインストリーム協会副代表などを経て、2013年4月から現職。国の社会保障審議会障害者部会委員。西宮市在住。妻、長男、長女の4人家族。 センター長を務める職場で、スタッフと談笑する玉木幸則さん=西宮市染殿町、障害者総合相談支援センターにしのみや
拡大

たまき・ゆきのり 1968年、姫路市出身。日本福祉大学卒。メインストリーム協会副代表などを経て、2013年4月から現職。国の社会保障審議会障害者部会委員。西宮市在住。妻、長男、長女の4人家族。

センター長を務める職場で、スタッフと談笑する玉木幸則さん=西宮市染殿町、障害者総合相談支援センターにしのみや

  • たまき・ゆきのり 1968年、姫路市出身。日本福祉大学卒。メインストリーム協会副代表などを経て、2013年4月から現職。国の社会保障審議会障害者部会委員。西宮市在住。妻、長男、長女の4人家族。
  • センター長を務める職場で、スタッフと談笑する玉木幸則さん=西宮市染殿町、障害者総合相談支援センターにしのみや

たまき・ゆきのり 1968年、姫路市出身。日本福祉大学卒。メインストリーム協会副代表などを経て、2013年4月から現職。国の社会保障審議会障害者部会委員。西宮市在住。妻、長男、長女の4人家族。 センター長を務める職場で、スタッフと談笑する玉木幸則さん=西宮市染殿町、障害者総合相談支援センターにしのみや

たまき・ゆきのり 1968年、姫路市出身。日本福祉大学卒。メインストリーム協会副代表などを経て、2013年4月から現職。国の社会保障審議会障害者部会委員。西宮市在住。妻、長男、長女の4人家族。

センター長を務める職場で、スタッフと談笑する玉木幸則さん=西宮市染殿町、障害者総合相談支援センターにしのみや

  • たまき・ゆきのり 1968年、姫路市出身。日本福祉大学卒。メインストリーム協会副代表などを経て、2013年4月から現職。国の社会保障審議会障害者部会委員。西宮市在住。妻、長男、長女の4人家族。
  • センター長を務める職場で、スタッフと談笑する玉木幸則さん=西宮市染殿町、障害者総合相談支援センターにしのみや

 ちゃんと生きよう。阪神・淡路大震災を経験してそう思った。

 住んでいた西宮市上ケ原のアパート1階がぺちゃんこになり、隣室の大学生が亡くなった。わずか数メートル離れていただけで彼は即死、自分は無傷。自分に何ができるのか、真剣に考えるようになった。

 東日本大震災後、レギュラー出演していたNHKのテレビ番組に、被災障害者から多くの声が寄せられた。

 「前途ある人々が亡くなったのに、生き残ってしまった」「自分は生きていていいのか」。そんな内容が何通もあった。

 悔しかった。障害があってもなくても、人間は生ある限り前途がある。役割のない人間なんていない。

 コミュニティーの空気や今の社会の仕組みが、そういうことを言わせてしまう。震災があったからではない。普段の社会の空気がそうなっている。

 阪神・淡路大震災後、災害のたびに「要援護者支援」の課題が議論されてきた。でも、状況はそう変わらない。

 災害時だけを考えていても解決しない。重要なのは、障害に関係なく、だれもが自然に日々を営めるコミュニティー。障害者が「生きてていいですか」と言う社会はおかしいと思いませんか。(聞き手・磯辺康子)

      ◇

 脳性まひで手足が不自由だ。阪神・淡路大震災時は、障害者の自立生活を進める民間団体「メインストリーム協会」(西宮市)副代表。同市内の自宅アパート、職場ともに全壊した。

 救出されたのは、地震の約2時間後。近くに住んでいた大家さんが「足の不自由な兄ちゃんが埋まってる」と周囲に知らせてくれた。隣の部屋の大学生は即死だった。僕は仮死状態で生まれ、その時も死にかけているけれど、震災を経験して「生き続けなあかん」と強く思うようになった。

 震災後、協会の再建や障害者の支援活動に奔走。約2年間、仮設住宅で暮らした。

 作業所などの施設や組織とつながりがある障害者には、災害時も支援が届く。届かないのは、日々の生活でつながりがない人。日常的に孤立しているから災害時も孤立する。重要なのは普段の生活。これは障害者に限った問題ではないと思う。

 全国各地で講演し、NHKの障害者情報番組「バリバラ」のレギュラーを務める。災害時の要援護者支援について意見を求められることも多い。

 災害時だけを切り離して考えるのでなく、どんなときでも支援を必要とする人に支援が届くことが大切。誰だって足の骨を折れば「要援護者」になる。

 阪神・淡路大震災以降、災害のたびに同じ議論を繰り返しているように思う。それでも発信し、人と関係をつくり、街に出て行くしかない。言い続け、思い続けることで耳を傾けてくれる人がいる。

 東日本大震災後、出演していたNHKの番組「きらっといきる」(「バリバラ」の前身)に届いた声は、被災地の障害者の厳しい状況を示していた。

 統合失調症の視聴者から「薬を飲まないと生きていけない自分は、復興の役に立たない。生きていていいんですか」という声が寄せられた。プロデューサーから、同じような内容のメールが何通もきていると聞いた。

 阪神・淡路から16年もたっているのに-と悔しかった。薬を飲みながら暮らしていくことで、伝えられる生き方があるはず。「ゆっくりと自分のペースでいい」「しんどい時はしんどいと言っていい」と伝えられるかもしれない。役割のない人間なんて一人もいないんだ、と画面の向こうに訴えた。

 「地域社会で生きるとは」という根源的な問題につながる。

 「疎外する気持ち」は誰にでもある。僕にもある。「差別は駄目」と言うのではなく、自分に疎外する気持ちがあると自覚し、その上でどう認め合って生きていくかを考える。そこが重要だと思う。

 「福祉」は施しではない。人が人として生きていくための環境整備であり、権利。その原点を見つめなければ、災害時に人の命を守ることもできない。

 記事・磯辺康子

 写真・斎藤雅志

▽たまき・ゆきのり 1968年、姫路市出身。日本福祉大学卒。メインストリーム協会副代表などを経て、2013年4月から現職。国の社会保障審議会障害者部会委員。西宮市在住。妻、長男、長女の4人家族。

2014/1/16
 

天気(9月7日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 20%

  • 37℃
  • ---℃
  • 40%

  • 35℃
  • ---℃
  • 20%

  • 36℃
  • ---℃
  • 30%

お知らせ