優しく激しいピアノの音色がログハウス風の建物に染みていく。解体を惜しむ人たちの脳裏にも-。昨年12月15日、浜風の家(兵庫県芦屋市)に親しんだピアニスト松永貴志さん(31)=東京都=が、計15曲を奏でた。
ここでは中学卒業記念ライブ以来、2度目のコンサート。約100人を前に、16年前と同じ「いつか王子様が」も披露した。
1999年の開館から19年間で延べ約20万人が利用。松永さんも中高生のころに通った。17歳でメジャーデビュー、国内外で活躍する“売れっ子”は、閉館の知らせに無料コンサートを申し出た。
阪神・淡路大震災に遭ったのは小学3年。中学1年のときに自宅近くに浜風の家ができた。集会室にあったグランドピアノは誰でも楽しめるよう、鍵がかかっていなかった。「学校帰りに友だちとふらっと立ち寄る遊び場の一つだった」
小学6年でピアノを始めた松永さん。憧れのグランドピアノを自由に弾けるのが「夢のようだった」。演奏すると、子どもたちが集まってきた。
浜風の家が震災をきっかけにした施設と知ったのは、ずいぶん後のことだ。
「人の優しさによって建てられた。自分が大人になって、その優しさに気付くことで、自分も同じように優しくなれる」
2011年、東日本大震災の状況を目の当たりにし、記憶がよみがえった。
阪神・淡路の当時、避難所で活動するボランティアの若者が「ヒーローに見えた」。ポケットゲームをもらい、どれほど喜んだか。
そして思った。「あ、行かないと!」。東日本の発生から程なく、岩手県陸前高田市や大船渡市の避難所に入った。避難所にはおもちゃやお菓子が配られずに積まれたままだった。
「大人が大変なことを子どもは分かってる。そんなときにおもちゃがほしいとは言えない」。自身の体験が重なる。松永さんがおもちゃやお菓子を配ると、歓声がわいた。
「子どもが求めるものは変わらない」。震災を経験しているからこそ、できることがあると実感した。「阪神・淡路が僕の人生を変えた。誰かのために何かをしたい。人を笑顔にしたい。そう考える原点」と力を込める。
浜風の家の閉館が近づく。「子どもの心を豊かにする遊び場を提供してもらったことを感謝している。そこにピアノがあったことにも」と松永さん。
思い出の場所での“ラストコンサート”を終え、今年も国内外の演奏活動に駆け回る。
「音楽を通して震災のこと、浜風の家のことを伝えていく。永久的に」
(中島摩子)
2018/1/13