19年前の春の記憶を呼び起こした。浜風の家の元施設長、奥尾英昭さん(78)=兵庫県尼崎市=が、理事長だった藤本義一さんと初めて会った日のことだ。
「テレビで見るより大きく見えた。義一さんの雰囲気がそうさせたのかな」
義一さんは浜風の家の施設長を探しており、共通の知人を介して会うことになった。奥尾さんは当時60歳。中学校教諭、特別支援学校校長を経て退職したばかりだった。
大阪市内の事務所の応接室。会話は少なく、ほんの数分。ただ、義一さんが顔を上げて言った一言は今も鮮明だ。
「全部任すわ」
言葉に表れない熱意を感じ、「この人が理事長なら全力でやってみよう」と、施設長を引き受けた。
奥尾さんは規則やルールをほとんど設けず、自由にさせることにこだわった。
浜風の家に通うのは、震災で傷ついた子どもたち。心に詰まった、行き場のない感情を吐き出させることが必要だった。自由に遊ばせ、発散させる。それがケアであり、癒やしにつながると信じた。
放課後に座布団投げをしに通い、すっきりした表情で家路につく。「学校では無理やろなぁ」。ルールを守ることを求める学校生活とは根本的に違う。
ある日、小学校低学年の女児が段ボール箱の中に座布団を敷き、じっとこもって出てこなかった。泣いているわけでもなく、遊んでいるようにも思えなかった。「何してるんや」。返ってきた答えは“赤ちゃんごっこ”だった。
「震災のときの記憶やろか。ぐらぐら揺れて崩れる中、周りを見ても真っ暗。そら怖かったやろうな」
施設は、開放的なホールに広い屋外デッキ。子どもたちの「したいこと」に精いっぱい応えた。同時に、しっかりとした大人の見守りもあった。
大人には意味の分からない遊びも、子どもたちは無心に取り組む。「子どもは、遊びの中で寄り道をしながら伸びてゆく」と思う。
奥尾さんは、浜風の家の指導員たちに「子どもたちに、“種”をまいてくれ」とたびたび言った。
指導員が子どもたちに「~をやってみない?」と声をかけたり、何かに取り組んでいる子どもを見つけたら褒めてあげたりする。その種が将来、大きな花を咲かせるかもしれない。「浜風は、子どもたちにたくさんの経験をさせる“種まき”の場だった」と話す。
近年、子どもの居場所が少なくなってきた。静かにしていることも、はしゃぐことも自由にできる、そんな場所だ。
奥尾さんは約8年、施設長を務め、大勢の子どもたちを送り出した。「ここを通った子が親になったとき、浜風で感じたことを伝えていってくれたらなぁ」(竜門和諒)
2018/1/14