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2004年12月、神戸新聞社のインタビューに答える藤本義一さん=西宮市内
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2004年12月、神戸新聞社のインタビューに答える藤本義一さん=西宮市内

2004年12月、神戸新聞社のインタビューに答える藤本義一さん=西宮市内

2004年12月、神戸新聞社のインタビューに答える藤本義一さん=西宮市内

 「浜風の家」を運営する社会福祉法人「のぞみ会」の理事会を終えた帰り道。藤本義一さんが言った。

 「古賀君、続けていけよ」

 言葉を受け取ったのは、理事の一人、古賀裕史さん(66)=西宮市。藤本さんが2012年10月に79歳で亡くなる1年ほど前のことだ。古賀さんとは30年近くの親交があった。

 そもそも、藤本さんが浜風の家への思いを強くしたのはなぜだったのか-。

 阪神・淡路大震災後、藤本さんは古賀さんらとともに西宮市の小学校の避難所を訪れた。そこで、父親を亡くしたという5歳ぐらいの女の子が、うつろな目でじっとしているのを見た。

 「この子のために何ができるかな。何かせなあかんな」。そう、つぶやいた。

 ある時は、母親を亡くした女児が学校から帰るなり布団をかぶり、「布団に入ったら、お母さんとしゃべれる」と話していると聞いた。

 「子どもたちがいっときでも、つらいことを忘れて遊べるような駆け込み寺を作りたい」

 藤本さん自身の被災体験も、設立のきっかけの一つだった。

 西宮市の自宅が揺れ、ベッドに洋服ダンスが倒れ込んだ。「あと3センチか5センチぐらいで死んでいた」と振り返っている。

 04年12月、神戸新聞社の取材にこんなふうに語った。

 「あの日すぐ、何か別の力で生かされたと感じたな。自分だけの力で生きているのやない。われわれの世代はよく『残された時間』という。でも考えてみれば、生まれたときから『残された時間』。むしろ『与えられた時間をどう生きるか』ということですな」

 浜風の家を作ったことにも触れ、「震災によって、自分再発見、人間再発見の機会が与えられたということかも分からんね」。

 人生観を変える体験を経て、浜風の家で子どもたちと向き合った。1999年1月17日の開所式では、藤本さんが脚本を書いた朗読劇が披露された。

 タイトルは「生きてることがはなまるや!」。

 あるきょうだいが震災で両親を亡くした。「でも自分たちは生きている」。周りでは多くの人が不本意に亡くなった。「自分たちは生きていかないと」-。

 朗読劇の最後には、式の参加者もみんなで「生きてることがはなまるや!」と繰り返した。

 10万人もの寄付で建てられた施設そのものが、子どもへのエールだった。震災を風化させないシンボルでもあった。その施設は震災から丸23年となる17日に閉館する。

 藤本さんと歩んできた古賀さんは、かつての利用者や指導員ら約200人が集った今月14日のイベントで、思いをかみしめた。「建物がなくなっても、一人一人の心の中に思い出があれば、浜風の家は生き続ける」(中島摩子)

=おわり=

2018/1/17
 

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