阪神・淡路大震災の起きたあの日、江崎グリコ(大阪市)の多くの社員が被災した。エリア統括グループ長の相川昌也さん(53)もその一人だ。
兵庫県伊丹市内の自宅が損壊し、近くの小学校に避難。食べ物がなく、夜に水と乾パンが配られた。だが、のどを通らない。「同じ物ばかり食べられへん」「甘い物もほしい」。高齢者や子どもらの声も伝わってきた。
「おいしい保存食を作りたい」。相川さんは、菓子開発部長だった寺本整志さん(61)に相談した。寺本さんらは、クラッカータイプなど既存の栄養食品の長期保存化を試みたが、風味や形状を保てず断念。最終的にビスコに行き着いた。
1933(昭和8)年に発売されたクリームサンドビスケットで、神戸ファクトリー(神戸市西区)で全量生産されている。酵母入りクリームで手軽にエネルギー摂取できるのが売りだ。老若男女に親しまれ、クリームがあることで水のない災害時でも食べやすい。問題は、長期保存の実現だった。
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備蓄用食品の保存期間は近年、5年が主流だ。ビスコの賞味期限は約1年。5倍に延ばして「生産時と同じ味を保てるのか」と疑問視する意見も上がった。
ビスコを酸素に触れさせず、密封しなければならない。酸化して品質が損なわれるからだ。5枚のビスコを包むプラスチックフィルム製の袋の中の空気さえ影響を及ぼす恐れがあった。そこで、袋に穴を開け、脱酸素剤と一緒に缶に入れて密閉する方法を考案した。
最も難航したのが袋に穴を開ける工程。最適な穴の大きさや位置を探り、袋を製造する機械の調整を重ねて長期保存専用袋の完成にこぎつけた。
5年後。保管テストをへたビスコの味は、保存前と変わらなかった。満を持して、2007年に「ビスコ保存缶」(6パック入り420円)を発売した。
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インターネット通販では売り上げを伸ばしたが、大口の納品先に想定していた自治体からは「子どものお菓子でしょ」「値段が高い」と敬遠された。「非常食としての魅力を伝えきれなかった」と事業開発ユニットの内藤孝広さん(49)は振り返る。
発売から約2年後、備蓄食の見直しを検討していた京都府から初めての注文が入った。やがて全国の自治体や企業、病院などに広がり、東日本大震災直後の11年度の売り上げは前年度の約10倍に伸びた。
かさばる容器の改良を求める声を受け、アルミ真空パックを導入。13年に発売したコンパクトタイプ(3パック入り)は、多くの自治体に備蓄されている。
開発に携わった神戸ファクトリー生産管理課長の宮崎敬司さん(50)は24年前の光景が忘れられない。「震災直後、被災者に菓子を手渡すと、とても喜んでくれました」
食べ慣れたおいしさは、いざというときに人々の心をほぐしてくれる。(三島大一郎)
2019/1/16