中層階が押しつぶされたビル、水没した岸壁、橋桁が外れた高架橋…。阪神・淡路大震災の被災地の写真集を手に、ゴムメーカーのシバタ工業(兵庫県明石市)技術部の浮島徹さん(47)は、24年前を振り返る。
「社員でまとめたこの冊子が落橋防止装置の原点」
橋台や橋脚と、橋桁をチェーンでつなぎ落下を防ぐ“最後のとりで”。橋桁のずれを防ぐ変位制限装置とともに、全国の橋や道路で設置が続く同社製品は現在、年間約10億円を売り上げる。ゴム履き物類の製造販売を祖業にする同社の防災事業は、被災地をかけずり回った若手社員らの議論から生まれた。
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阪神・淡路から1カ月後。被害状況を記録して復興に役立てようとの指示で神戸市内を巡った若手社員らが、集まった。テーマは地震対策製品の開発。経験はなかったが、被災地の惨状を目の当たりにし、記録だけでなく別の形で役立ちたいと皆が言い出していた。
ビルの制震装置などさまざまな案が上がる中で、女性社員がつぶやいた。
「高架橋が落ちなければ、救急車両や復旧車両が通ることができるのに」
崩壊した阪神高速道路神戸線をだれもが思い浮かべた。だが、開発できるのか。女性は、船舶などを係留する自社製鎖の転用を提案した。緩く組んだ鎖にゴムを巻き付けた構造で、伸縮性と耐衝撃性に優れる。「それでいこう」。落橋防止装置の開発で一致し、当時副社長の柴田充喜(あつき)社長(52)の賛同も得た。
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崩落した高速道路や高架橋に耐震装置がなかった訳ではない。金属製の鎖や棒からなる既存品が取り付けられていたが、衝撃で吹き飛んだのだ。同社の強みはゴムを緩衝材に使うこと。係留用製品の材質などを変え、「緩衝チェーン」を年内に完成させた。阪神・淡路級の15トンの衝撃に耐えられる品質が評価され、翌年には神奈川県の小田原厚木道路で採用された。
一方、並行して開発した「緩衝ピン」は全く売れなかった。金属製の棒にゴムを巻き付けた落橋防止装置で、構造上の制約から設置できる橋が限られており、需要を呼び込めなかった。
取引先に相談すると、思わぬヒントをもらった。「阪神・淡路では多くの橋桁がずれ、復旧に時間を要した。ずれ防止装置として製品化したら」。建築基準が96年に改正され、揺れで橋がずれないようにすることが義務付けられていた。
99年。巨大な押しピン形の「変位制限装置」が誕生した。橋桁から突き出た鉄板の上から橋脚に突き刺し固定する。ずれ防止に特化した全国初の製品は、神戸市のポートライナーや阪神高速道路など順調に受注を伸ばした。
同社は流木を食い止める製品を後に開発するなど、今や防災・減災を事業の柱の一つに掲げる。推し進めた原動力は、阪神・淡路を経験した社員一人一人の思いだ。浮島さんは言う。「常に問い続けてきた。自分たちに何ができるのかを」
(綱嶋葉名)
=おわり=
2019/1/20