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震災の傷痕が見えなくなった街。慰霊碑(中央下の国道沿い)が記憶を語り継ぐ=神戸市東灘区本山中町4(撮影・鈴木雅之)
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震災の傷痕が見えなくなった街。慰霊碑(中央下の国道沿い)が記憶を語り継ぐ=神戸市東灘区本山中町4(撮影・鈴木雅之)

震災の傷痕が見えなくなった街。慰霊碑(中央下の国道沿い)が記憶を語り継ぐ=神戸市東灘区本山中町4(撮影・鈴木雅之)

震災の傷痕が見えなくなった街。慰霊碑(中央下の国道沿い)が記憶を語り継ぐ=神戸市東灘区本山中町4(撮影・鈴木雅之)

 阪神・淡路大震災が起きた1995年1月17日から連日、新聞は亡くなった人の名前を報じた。

 当時の新聞を見れば、神戸市東灘区本山中町4丁目の犠牲者も分かるはず-。今年4月、名前が刻まれていない慰霊碑を建てた後、4丁目に住む大町真由美さん(72)と山田美代子さん(76)は図書館を訪ねた。

 警察発表を基にした3月4日時点の判明分を載せた本があり、該当する住所の名前を書き写していった。

 計37人。「そんなに亡くなっていたの」。手書きの名簿を2人は見つめた。

 この37人が確かに4丁目の犠牲者なのか。神戸市に尋ねた。返ってきたのは、神戸・三宮の「慰霊と復興のモニュメント」には同じ名前の銘板がある、という答えだけだった。

 市によると、「町・丁目」の単位で犠牲者数をまとめた公式な名簿はないという。内部資料として、犠牲者名簿のコピーを保管している部署もあるが、いつ、何を基に作成された文書か定かではなく、住所地の並びはばらばら。手書きの補記などもあり、「照合できる保証がない」とする。

 自然災害による犠牲者の数や名前を、地域社会はどのように扱うのか。このほどの台風19号でも話題に上っている。阪神・淡路からの宿題のように、4丁目にも横たわる。

     ◇   ◇

 慰霊碑のある「国道地蔵尊」の地蔵盆を終えた9月、2人は震災前の住宅地図を用意した。名簿と地図の名前を見比べながら、街を何度も歩いた。

 多くの家は住人が替わっていた。空き地のままのところもあった。「震災の話はしたくない」という遺族もいた。それでも一人また一人と、ここで亡くなったことが確かめられた。

 名簿にない名前も教えられた。訪ねると、37人のほかに少なくとも4人の犠牲者が分かった。3月5日以降に死亡が公表された人や、関連死と認定された人だった。

 川瀬巌(いわお)さん=当時(89)=はその一人。かかりつけの医院が被災し、必要な点滴が受けられなくなった。震災2日後に近くで火が出て、次男の喬(たかし)さん(81)は「父を背負って慌てて逃げた」と振り返る。約1カ月後、巌さんは亡くなり、関連死と認定された。

 喬さんも、4丁目に慰霊碑がないことを気に掛けていた。大町さんらから建立したことを聞くと「ありがたい」と頭を下げた。失われていた絆がまた一つ、紡がれた。

 震災から来年で丸25年。1月17日の慰霊の場がこの街に初めて設けられる。その日まで、あと3カ月足らず。「41人」の犠牲者のうち、まだ半数の遺族が分かっていない。=おわり=

この連載は、田中真治、篠原拓真、竹本拓也が担当しました。

2019/10/26
 

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