■建築家、京都造形芸術大教授 家成俊勝さん
赤い橋桁が屋根代わり、約30平方メートルの簡易ステージにはDJブースを設けた。輝くミラーボールの下、舞台横の小さなカウンターでは、初対面の男女がグラスを傾け、ジャズやダンス音楽に身をゆだねていた。
ポートアイランドの北端、神戸大橋の下に作られた仮設クラブ「UNDER THE BRIDGE(アンダー・ザ・ブリッジ)」。2017年秋、「港都KOBE芸術祭」の一環で、建築家の家成俊勝さんらが神戸を代表するバー文化を屋外芸術として表現した。夕暮れから夜まで、神戸港を背景に心地よい音楽が響く開放的な空間は、訪れた人の心を和ませ、偶然出会った人同士の壁を取り払った。
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1995年1月17日、神戸市灘区にある築70年ほどの木造の自宅で地震に遭遇した。大学1年、2日前に成人式で懐かしい友人たちと会ったばかりだった。
寝ていてどーんと突き上げるような衝撃。瓦は落ち、土壁は剥がれ、家の基礎がゆがんで後に全壊判定を受けた。ミニバイクで外へ飛び出すと、ぺしゃんこの家が次々と目に入った。「家は壊れる」と、思い知らされた。
人々は少ない食料を分けあい、プロパンガスの家は風呂を提供して助け合った。混乱の中でも屋外に店や酒場ができ、活気が生まれた。「こんな状況でも人は生き抜ける」。人と人との距離が近くなったように感じた。
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大学卒業前、進路を決めかねていたころ、三宮近くのバーに立ち寄った。偶然、バーテンダーが建築の専門書を勧めてくれた。工務店で働いた経験もあり、夢中でページをめくり、食い入るように読んだ。バーと建築。一見、別世界に見える二つがカウンターで交わった。やがて、「気さくに人が集まれる建物をつくりたい」と夢見るようになった。
卒業後、バーテンダーのアルバイトをしながら建築専門学校へ。知人のバーやクラブの内装設計を手掛け、学んだことを具現化していった。2004年には自身の事務所を尼崎市内に設立。仕事を受けるたび、大好きなバーや社交場のように、リラックスして過ごせる空間づくりをめざした。
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震災、バーテンダー、そして建築。それらの経験すべてが結実したのが、13年、瀬戸内国際芸術祭の会場の小豆島・馬木地区に建てた交流施設「ウマキキャンプ」だった。木造平屋でガラス張り。高い天井は開放感があり、出入りしやすい工夫を凝らした。
テーマは「誰でも建てられる家」。費用はわずか約300万円。背景には、震災後の二重ローンに苦しむ被災者の存在があった。工法もシンプルで、基礎の柱は筒状のコンクリートに挿す。修理しやすいよう、ホームセンターで買える工具だけを使った。画一的な家を量産する住宅メーカーへのアンチテーゼでもあった。
震災以降、人口減少著しい兵庫と同じく、小豆島も過疎化が続く。なんとか観光客、住民が集える場ができないか。併設したラジオ局からは観光情報と共に生活情報も発信できる仕組みを作った。ここにも情報を求めて苦労した被災経験を生かした。
現在の事務所がある大阪でも17年、近くの古い文化住宅を改修し、交流施設「千鳥文化」にするための設計を手掛けた。住民同士の触れ合いを促すバーには、自身がカウンターに立つこともある。「人々が出会い、会話を交わし、肩書から自由になれる。建築を通し、そんな“場”を提供していきたい」(金井恒幸)
【いえなり・としかつ】1974年神戸市灘区生まれ。阪神・淡路大震災の体験が建築家としての礎に。関西大法学部卒業後、大阪工業技術専門学校の夜間部で設計を学ぶ。大阪市住之江区で建築設計事務所「ドットアーキテクツ」を運営。京都造形芸術大教授。
2020/1/14