連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

  • 印刷
「自分が活躍することで、震災を語る場もできる。それは王将戦の時だけでなく、ずっと思っていた」と話す棋士の谷川浩司さん=関西将棋会館(撮影・吉田敦史) 第44期王将戦第7局指し直し局、谷川さんは■5五銀と打って勝負の流れを引き寄せた=関西将棋会館(撮影・吉田敦史) 神戸新聞NEXT
拡大

「自分が活躍することで、震災を語る場もできる。それは王将戦の時だけでなく、ずっと思っていた」と話す棋士の谷川浩司さん=関西将棋会館(撮影・吉田敦史)

第44期王将戦第7局指し直し局、谷川さんは■5五銀と打って勝負の流れを引き寄せた=関西将棋会館(撮影・吉田敦史)

神戸新聞NEXT

  • 「自分が活躍することで、震災を語る場もできる。それは王将戦の時だけでなく、ずっと思っていた」と話す棋士の谷川浩司さん=関西将棋会館(撮影・吉田敦史)
  • 第44期王将戦第7局指し直し局、谷川さんは■5五銀と打って勝負の流れを引き寄せた=関西将棋会館(撮影・吉田敦史)
  • 神戸新聞NEXT

「自分が活躍することで、震災を語る場もできる。それは王将戦の時だけでなく、ずっと思っていた」と話す棋士の谷川浩司さん=関西将棋会館(撮影・吉田敦史) 第44期王将戦第7局指し直し局、谷川さんは■5五銀と打って勝負の流れを引き寄せた=関西将棋会館(撮影・吉田敦史) 神戸新聞NEXT

「自分が活躍することで、震災を語る場もできる。それは王将戦の時だけでなく、ずっと思っていた」と話す棋士の谷川浩司さん=関西将棋会館(撮影・吉田敦史)

第44期王将戦第7局指し直し局、谷川さんは■5五銀と打って勝負の流れを引き寄せた=関西将棋会館(撮影・吉田敦史)

神戸新聞NEXT

  • 「自分が活躍することで、震災を語る場もできる。それは王将戦の時だけでなく、ずっと思っていた」と話す棋士の谷川浩司さん=関西将棋会館(撮影・吉田敦史)
  • 第44期王将戦第7局指し直し局、谷川さんは■5五銀と打って勝負の流れを引き寄せた=関西将棋会館(撮影・吉田敦史)
  • 神戸新聞NEXT

■将棋棋士 谷川浩司さん

 25年前の1月。将棋棋士・谷川浩司さんは大勝負のまっただ中にいた。七大タイトル(当時)の一つ、自らが保持する王将戦で、羽生善治さんの挑戦を受けた。

 当時、全盛期を迎えた羽生さんは6タイトルを保持し、史上初の七冠同時制覇を目前にしていた。史上最年少で名人となった1983年には社会的ブームを巻き起こした谷川さんだが、この勝負に限っては挑戦者の快挙達成なるかが世間の耳目を集めていた。

   ◆    ◆

 1月12、13日に行われた第1局は谷川さんが先勝。その4日後、阪神・淡路大震災が発生した。

 神戸・東灘の六甲アイランドにあった自宅マンションは激しく揺れたものの、大きな被害はなかった。ただ翌日、島の対岸にあるLPG(液化石油ガス)タンクのガス漏れで避難勧告が出され、島の南端に半日避難。19日朝、妻の運転する車で大阪に避難した。

 翌日に順位戦、23、24日には王将戦第2局が控え、勝負は待ったなし。周囲に目を向ける余裕はなく、万全の体制で対局に臨むことで精いっぱいだった。

 それでも、盤に向かうと気持ちが高ぶった。「あの時、死んでいたかもしれない」と思うと、将棋が指せるだけで幸せだった。温かい食事に入浴…当たり前の日常がありがたかった。

 全国のファンから見舞いや激励の手紙が届き、日用品まで送られた。7番勝負は将棋界だけでなく、社会的関心事となった。

 「対局はまず自分のため。けれどもこの時は神戸を代表してというか、神戸のために戦っている意識があった」。6局終わって3勝3敗と相譲らず。青森での最終第7局も千日手で指し直しになるほどの激闘の末、谷川さんが制した。

 震災後の苦境を乗り越え、最強のライバルである羽生さんを下してのタイトル防衛は、被災地を勇気づけた。対局を終えて大阪空港に降り立つと、勝利を祝う横断幕が出迎えてくれた。

   ◆    ◆

 4月には棋士仲間に呼びかけ、ボランティアの将棋イベントを神戸で開き、ファンを楽しませた。チャリティーや寄付にも積極的に応じた。

 震災から半年ほどが過ぎ、重要な対局が一段落した頃。張り詰めていた気持ちがほどけ、言い難い虚脱感に襲われた。「人の命はとても重い。それが、住んでいる場所やタイミングで左右された現実を、どう受け止めればいいのか」

 自らはある程度元の生活を取り戻せたが、それがままならない人は多かった。胸を痛めながらも、被災地の棋士としてメッセージを発信していかねばならない。「被害が重かった人への申し訳なさ、後ろめたさを常に感じていた」と明かす。

 重苦しい心に、神戸市の小学校教諭、臼井真さんが作った歌「しあわせ運べるように」がしみた。息子2人が通った小学校でも、行事などでよく歌われていた。聞くと今でも涙腺が緩むという。あれから25年、歌とともに育った子どもは親となり、震災を知らない世代が歌い継ぐ。「あの歌を歌い続けることが、震災を忘れないことにもつながるのではないか」と思う。

   ◆    ◆

 阪神・淡路以降も国内外で大災害が発生している。「直後はまず生きること。次にライフライン、衣食住…」。谷川さんは語る。文化芸術の出番は、その後に必ず回ってくると。

 2011年の東日本大震災。復興支援を目的とした扇子を日本将棋連盟で作り、谷川さんは「頑張りすぎないでください」と揮毫(きごう)した。「被災した方は毎日頑張っているし、復興までは長い。時には緊張をほぐすことも必要」。希代の棋士は言う。「落ち着いたときに、被災した方の生活を少しでも豊かにするのが私たちの立場ですから」(溝田幸弘)

【たにがわ・こうじ】1962年、神戸市生まれ。76年、14歳でプロ入りし、史上2人目の中学生棋士となる。83年、21歳2カ月の史上最年少で名人を獲得。97年には永世名人の資格を得る。タイトル通算27期、棋戦優勝22回。神戸市東灘区在住。

2020/1/16
 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 40%

  • 33℃
  • ---℃
  • 50%

  • 34℃
  • ---℃
  • 20%

  • 34℃
  • ---℃
  • 40%

お知らせ