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天ぷら鍋火災の実験。炎が一瞬で燃え広がった=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター(撮影・小林良多)
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天ぷら鍋火災の実験。炎が一瞬で燃え広がった=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター(撮影・小林良多)
天ぷら鍋火災の実験。炎が一瞬で燃え広がった=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター(撮影・小林良多)
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天ぷら鍋火災の実験。炎が一瞬で燃え広がった=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター(撮影・小林良多)
天ぷら鍋火災の実験を取材する井上太郎記者(右から2人目)=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター(撮影・小林良多)
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天ぷら鍋火災の実験を取材する井上太郎記者(右から2人目)=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター(撮影・小林良多)
どんどん上昇する天ぷら油の温度。370度近くになると発火の恐れが高まる=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター(撮影・小林良多)
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どんどん上昇する天ぷら油の温度。370度近くになると発火の恐れが高まる=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター(撮影・小林良多)
天ぷら鍋火災の実験をした神戸市消防局の燃焼実験室=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター
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天ぷら鍋火災の実験をした神戸市消防局の燃焼実験室=神戸市北区ひよどり台北町3、市民防災総合センター

 火災で人が命を落としたり、大けがを負ったりする残念なニュースは後を絶ちません。漏電やたばこの不始末、ストーブの消し忘れなど、原因はさまざまです。はたから見ると「何でそんなことになるの?」と過失に目がいきがちで、おそらくは火事に直面したことのある人たちの多くも、かつてはそうだったのではないでしょうか。

 ところが、目の前に炎が迫ると途端に取り乱してしまうもの。被害を左右する「初期消火」も、平時に頭で考えるほど容易ではありません。火事への備えとは実は、防火の知識以上に「『パニックになるかもしれない』と知る、覚悟しておくこと」だと感じます。ある火災を例に考えてみました。(井上太郎)

■マヨネーズと水

 「そりゃ危ないわな」

 「『水と油』ですからね」

 神戸新聞社13階にある編集フロアで今年3月、そんな会話を耳にしました。デスクと記者が、兵庫県内で起きたばかりの火災のことを話しているようです。

 一体何が危なかったと言うのでしょう。その火事の概要を整理します。

 兵庫県西部の民家で深夜に住人が調理中、キッチンで天ぷら油の鍋から火柱が上がりました。火を見て、住人はあるものを鍋に容器ごと投げ入れたそうです。

 あるものとは、マヨネーズでした。

 突拍子もない行動に思う人もいるかもしれませんが、実はそうでもありません。

 神戸市消防局などによると、マヨネーズに含まれるタンパク質が油の表面に膜を作り、酸欠状態にするメカニズムで一時的に火を弱める効果はあるようです。

 一方で、投入時に油がはねるなどしてやけどのリスクが高いともされています。神戸市消防局でもかつては消火法の一つとして紹介したことがありますが、今は「危険なので絶対にやめて」と呼びかけています。

 少し横道にそれましたが、話をくだんの火災に戻します。

 このケースではマヨネーズの投入により、一時的にてんぷら鍋の火力が収まりました。正確には、収まったように見えました。

 ところが、直後に再び激しく燃え上がります。

 原因は、住人が鍋を冷やそうとかけた水。この人は飛び散った高温の油で頬や腕にやけどを負ってしまいました。

■手を伸ばせば

 冒頭の編集フロアでの会話は、この「天ぷら油に水をかけて消火する」行為をめぐるやりとりでした。

 水と油は表面張力の違いが大きく、互いに混ざり合わずに分離します。どうにもそりが合わない性格の者同士を「水と油」と表すように、比較的人口に膾炙した現象でもあります。

 賛否のあるマヨネーズ投下と比べても、天ぷら油火災で水を使う消火法が危険なことは明らかです。

 天ぷら油火災に際し、知識を動員して「マヨネーズ消火法」を試みるような人が、なぜその直後、危険が明白な水をかけようと考えたのでしょうか。

 現場は台所でした。「火事だ」「早く消さないと」と焦っているときに、手を伸ばせばそこに蛇口があるわけです。

 当たり前ですが、ここで立ち止まるためには鍋の中身が「アブラ」であることを意識していないといけません。

 このたった3文字が頭から離れた瞬間におそらく、蛇口をひねってしまう。

 「自分なら100%冷静に対処できる」と言い切れる人が果たして何人いるでしょうか。少なくとも私は無理です。いえ、無理でした。

■迫り来る炎

 この火災の後、「マヨネーズ消火法」の真偽について神戸市消防局の実験施設で検証する、という取材を担当しました。

 結論を言うと、市消防局が「正しい初期消火」として推奨するのは正攻法の消火器です。

 マヨネーズだけでなく、「ぬれた布をかぶせて鍋を覆う」など、いわゆる「窒息消火」の手法もかぶせる動作の中でやけどを負うリスクが高いとして市消防局では勧めていないという話でした。

 その日の実験は、コンクリートがむき出しの無機質な実験室で天ぷら油を熱するところから行われました。動画を撮影する映像写真部の先輩記者と、担当デスクと3人で訪れました。

 動画撮影は複数のアングルから行いました。それぞれの消火方法がどういう結果を招くか、可視化することが目的なので、誤った方法の「水をかける」というパターンも撮りました。

 白煙が渦を巻き、「ボッ」と鍋の上に現れてめらめらと燃える火。防護服に身を包んだ消防隊員がひしゃくで水をかけると、「シャアー」と高い音が響き、上半身に熱風を感じました。

 安全のため距離を取っているとはいえ、反射的に目を閉じていました。

 後で映像を見ると、炎は高さ3メートルほどの天井に達するだけにとどまらず、頭上をはうように燃え広がっていました。

 まるで自分に向かって迫ってくるような炎に、たちまち10年以上も前の恐怖がよみがえってきました。

■電話中に煙

 話は2008年にさかのぼります。成人式を終えたばかりの大学生だった私はその頃、アルバイトに明け暮れていました。

 まだ肌寒さが残る3月頃でした。居酒屋の深夜勤務を終え、帰ったアパートで1人、夕飯の支度にかかります。

 支度といっても、おかずは冷凍食品のコロッケのみ。もう日付が変わる頃で、とっとと食べてあしたの講義に間に合うように寝ようと思っていました。

 マイブームだったのか連日コロッケを食べていたので、このときも、前日から使い回しの天ぷら油がこんろに置いたままの鍋に残っていて、それを温めて揚げるだけでした。

 油を熱している途中で電話が鳴りました。地元の友達からでした。

 「こんな時間に何やろう」「ちょっとだけなら」と魔が差して、電話に出てしまいました。結構まじめな相談だったので、ついそのまま話し込んでしまいました。

 アパートは1K。キッチンは玄関と部屋をつなぐせまい廊下にあります。キッチンが見える位置にあるベッドに腰かけ、話を続けました。

 途中で焦げ臭い気がして顔を上げると、廊下に煙が立ちこめていました。

 「あれ、お湯出しっ放しにしてたっけ?」。湯気かと思って見に行くと、鍋から炎が上っていました。

 それはそれは赤々と燃えています。

 思い出すのが遅すぎました。

 せまいキッチンなので、戸惑っている間にもこんろの周りにぶらさげていたラックや食品の包装に次々と燃え移っていきました。

 夢であってほしい-。

 そんな願いはむなしく、体は火照り、額から汗が噴き出しました。

■我に返る瞬間

 うろたえました。

 他の部屋まで燃えたらどうしようという恐怖と「なかったことにしたい」という気持ちが同時にこみ上げます。

 いずれにせよ、一刻も早く消さないといけません。

 目の前に蛇口がありました。

 じっとしていられず、蛇口をひねり、両手で水をすくって鍋に直接かけました-。

 火は消えるどころか、大きな音ととともに私の顔を目がけて燃え上がりました。

 とっさに顔を背けた勢いで部屋の入り口によろけました。

 目の前にあった鏡に映った自分の頭が燃えています。火は、髪の毛に移っていました。

 慌てて手で振り払い、ここで我に返りました。

 敵が「アブラ」であることにようやく気付いたのです。

 結局、玄関の外にあった消火器で、火をなんとか消し止めることができました。

 隣人が物音に気付いて119番してくれ、救急車で運ばれました。

 やけどはかなりひどかったようで、皮膚の移植は免れましたが、包帯で顔をぐるぐるに巻いたまま1週間ほど入院しました。

■知っている人たちへ

 情けないのとやけどのショックで結構、落ち込みましたが、入院中、明るい看護師さんがよく話しかけてくれました。

 「油に水は絶対あかん」「そんなときはマヨネーズがいいんやって」とも教えてくれました。

 私はこの世に存在する(かつ認知している)食べ物の中でマヨネーズが最も嫌いなので、「そんなもん家にないから」と笑いながら抵抗しましたが、肝心の、油に水をかけたことのばかばかしさについては反論のしようがありませんでした。

 看護師さんの助言は「ド」が付くほどの正論で、出火原因も含めて言い訳の余地がないわけですから。

 それなのに、うまく言語化できない「何か」を分かってもらいたいという気持ちがどこかでくすぶっていました。

 あれから十数年。あのとき看護師さんに何か本気で反論したかったわけでもないし、やけどがちゃんと治るのか不安でしかたがなかった日々をすごく明るく励ましてくれたことは感謝してもしきれないぐらいです。

 それでも心の中でなんとなく引っかかり続けていた「何か」の正体が、最近ようやく分かりました。

 火事に直面したとき、普段はちょっと考えれば分かるような「当たり前」が通用しないことがあります。そのことをどうにかして人に伝えたい、という願望でした。

 誰に対してかと言うと、あの看護師さんだけでなく、「油に水はかけたらあかん」と既に知っている人たちにすべからく、です。

■備えの入り口

 私は髪の毛が燃えたときにようやく我に返ったことで、「油と水」が反発する事実を思い出しました。

 だから、その後は慌てながらも消火器を捜したし、使うことができました。

 神戸市消防局での消火実験の取材時、この火事のことを消防職員に打ち明けると、「よく生きてましたね。ほんとに」と、真顔で言われました。

 自分でもそう思います。大げさではなく、生きるか死ぬかは紙一重でした。

 1人暮らしとはいえ、集合住宅ですし、自分だけでなく他人の命、財産まで危険にさらしていたことを改めて猛省します。

 「知っていること」と「生かせる知識」とは違います。何の因果か、無事社会に出ることができ、世の中に発信する仕事をさせてもらっている中で、自分は記者として、あまり褒められた中身でないにせよ素直につづっておくべきだと考えるようになりました。

 天ぷら鍋火災は繰り返されています。神戸市消防局によると、2021年に年間114件あった住宅火災の原因別の15%を天ぷら鍋が占めました。その中に「自分は天ぷら鍋で火事を起こすかもしれない」と予期していた人が果たして何人いたでしょうか。

 もしものとき、かなり高い確率で、そばには水があります。

 でも、天ぷら油には必ず消火器を使ってください。水をかけるのは非常に危険なので、絶対にやめてください。

 今回は火事、その中でも天ぷら油の消火方法を例に記しましたが、同じように、一見当たり前に思えるような啓発や注意喚起が繰り返されるのには理由があります。

 頭で理解することは、備えの全てではなく、入り口に過ぎません。

 発信する立場として、何度でも何度でも伝えてなんぼ、です。

 うるさがられるぐらいでちょうどいい、とも思うようになりました。「そんなこと分かってるわ」と高をくくっている人が1人でもいる限り。

■「こんろ周りの防火・消火・避難のポイント」(神戸市消防局への取材に基づく)

・早めに気づけるように住宅用火災警報器を設置し、定期的に動作点検をする

・服に燃え移ってやけどするケースが多いので、初期消火の際はなるべく防炎素材の衣類を着用する

・近づいて消火するとやけどしやすいので、距離を取る意味でも極力「住宅用消火器」を使う

・火が天井に届くまで大きくなると住宅用消火器では消しきれない恐れがあるため、その場合は速やかに避難する

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【いのうえ・たろう】2014年入社。奈良市出身。東播支社(加古川市)、本社経済部、神崎支局(兵庫県福崎町)を経て21年3月から本社報道部。火事を経験後の就職活動では兵庫県内の某食品メーカーを受験し、「揚げずに○○」という調味料シリーズについて「画期的な防災商品だ」とひたすら持ち上げたが、不合格になっている。

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