「頑張るぞ」。東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた岩手県釜石市の釜石第2魚市場が4日早朝、漁師や仲買人らの気合とともに再開した。サバやイカなどが次々と水揚げされ、競り人の威勢のよい声が響きわたった。
市場の前に立つのは、西宮市に本社を置く水産加工会社、阪神低温の釜石冷凍工場だ。崩れた壁を覆うブルーシートが痛々しい。ほかに2工場を抱えていたが、津波にのみ込まれ、今は跡形もない。
「競りの再開で町の復興に弾みがつく。われわれも12月の再開に向けて、死に物狂いでやる」。東北事業所長の本田正勝(52)は覚悟をにじませた。
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鉄と漁業の町、釜石。近代化をけん引した新日本製鉄・釜石製鉄所が企業規模では圧倒的な存在だが、漁業の存在も大きく、冷凍や加工、倉庫など水産関連を含めると、雇用数は鉄鋼より多い。
神戸・阪神間で給食事業などを行っていた阪神低温が岩手県に進出したのは1963(昭和38)年。水産物を扱うに際して有数の漁場を抱えたこの地を選んだのだ。ここで魚介類をさばき、シーフードミックスなどの冷凍食品用として加工してきた。
これまで新日鉄釜石のラグビー部を前身とする「釜石シーウェイブス」の公式スポンサーになるなど、立派な「地元企業」になった。しかし、大震災以降、東北の事業は完全に止まった。
西宮市の本社で会長の蓮(はす)沼(ぬま)亮三(78)=西宮商工会議所副会頭=は話した。「阪神・淡路大震災でうちは本社がつぶれた。東日本大震災が起きたとき、またか、と精神的に参ったね」
発生直後の釜石商工会議所の調査では、約1千の会員企業の65%が津波被害を受けた。中でも、水産加工をはじめとして地域に密着している業者ほどダメージが大きかった。
阪神低温も工場や商品が7億円を超す被害だ。それでも本社は4月末、釜石での事業を再開するという判断を下した。設備の改修などで2億円は掛かる。会長の蓮沼は言う。「釜石で半世紀近くお世話になったご恩に報いなければならない」
パートなどを含む全従業員180人はいったん解雇-というつらい事態からの出発だった。
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大震災の発生から11日で丸5カ月。大企業を中心に生産活動はほぼ復旧したとされるが、中小企業は今も苦境にある。被災地に拠点を持つ兵庫県内の4社に密着し、地域再生の道筋を考える。=敬称略=
(松井 元、段 貴則)
〈阪神低温〉
1950(昭和25)年、学校や工場給食への食材納入を中心に西宮市で創業。水産加工分野に進出、岩手県内に3工場を構え、イカやサケ、サンマなどの1次加工を手掛けてきた。加工品は子会社(新潟県)を通じて流通大手向けの商品となる。
2011/8/11