山々の尾根はうっすら雪化粧をしていた。冷気で足先がじんじんとしびれてくる。
昨年11月末、鳥取との県境に近い、兵庫県美方郡新温泉町海上(うみがみ)。地名とは正反対の、小高い山の上に開けた集落だ。
4代にわたり、牛と“一つ屋根の下”で暮らす尾崎喜代美さん(80)を訪ねた。
玄関の引き戸の右側に木の扉。開けると、「厩(まや)」と呼ばれる牛の居場所だ。内部は、三方を壁で囲まれた4畳半ほどの土間になっている。裸電球の下にいるのは、母牛「のりふく」。5度目の出産を控えている。
家に入ると、厩は上がりかまちの隣にあるが壁に囲まれ、室内からは入れない。時折、壁を突く角の音が聞こえる。コツ、コツ。
夕食をいただく。「やっぱり、これがええだろ」。尾崎さんが笑って出してくれたのは、但馬ビーフの焼肉。かみしめるほどにうま味が広がる。
「生まれた時から牛がおったねぇえ」
肉を裏返しながら昔話。「小さい時分は一緒に田畑を耕して」。コツ、コツ。合いの手が入る。
かつて、牛は農耕用だった。生まれた子牛は貴重な現金収入になり、冬、男たちは出稼ぎに行く。尾崎さんも16歳から40年間、奈良の酒蔵で杜氏(とうじ)を務めた。
道理で酒が強い。頭を冷やそうと外に出る。厩をのぞくと、牛が音もなく塩をなめていた。
‡ ‡
翌朝5時半。真っ暗な中に尾崎さんが姿を見せると、牛がそわそわし始めた。
ザクッ、ザクッ。餌をはむ。竹の枝のほうきで体をなでる。背中、首回り。気持ちよさそうだ。
最後に、腹に手を当てた。「今日も動いたわ、グーってな」。新たな命は着実に育っている。触らせてもらうと、想像以上にふかふかの毛。しっかりと張った腹が温かい。
次は野草をカッターで裁断する。アザミにススキ。牛が反すうし胃を整える。「全部うちの畑で刈った。安心できるもんでないと」
車で近くの上山(うえやま)高原へ向かった。「夏は母牛をここに放牧するんや」
見晴らしの良い場所で、尾崎さんは、地元のお盆には欠かせない「傘踊り」の「名山節(めいざんぶし)」を歌ってくれた。
海上 名山 牛ケ峰 ハァヤレコレ
御殿に雪降りゃ 一分か二分か
高い声が冬の山々に響き渡った。
‡ ‡
尾崎さんのように1頭、あるいは数頭を育てる農家は急速に減っている。
「年のいった人ばっかりやし。今は子牛が高いから続ける人もおるけど、下がったらますます辞めるだろなぁ」
「雪が溶けたら、生まれた子牛見に来いなあ」
尾崎さんに見送られ、別の牛飼いの元に向かった。跡継ぎがおらず、「自分たちで終わり」と話す夫婦だ。
(岡西篤志)
2016/1/3