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約700キロの牛をトラックに乗せる上田伸也さん。力任せではなく、呼吸を合わせる=兵庫県香美町小代区貫田(撮影・中西幸大)
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約700キロの牛をトラックに乗せる上田伸也さん。力任せではなく、呼吸を合わせる=兵庫県香美町小代区貫田(撮影・中西幸大)

約700キロの牛をトラックに乗せる上田伸也さん。力任せではなく、呼吸を合わせる=兵庫県香美町小代区貫田(撮影・中西幸大)

約700キロの牛をトラックに乗せる上田伸也さん。力任せではなく、呼吸を合わせる=兵庫県香美町小代区貫田(撮影・中西幸大)

 冬の但馬では珍しく晴天が広がった。母子の牛を祭った「畜魂碑(ちくこんひ)」の前で、線香の煙が流れる。

 昨年12月9日。兵庫県美方郡香美町村岡区の上田畜産。この日は年に1度の供養祭だ。スーツ姿の社長上田伸也さん(44)が手を合わせた。

 「ありがとう」を、170頭に向けて唱える。この1年で出荷したり、病気で死んだりした牛の数。「この命に、わしらは生かされているんだで」

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 県内最大の繁殖農家。出産から肉の出荷まで手掛ける一貫経営。業界を引っ張る存在の上田さんに密着した。

 朝6時。タオルをぐっと頭に巻く。餌の食いっぷり、脂の付き具合、息遣い。子牛は熱を出していないか。母牛の発情は。見て、触って確かめる。

 「牛飼いは繊細であれ」。体に染みついた教訓。「毎日同じことやっとりますわ」と笑う。25年で12頭から600頭に増やした。何がここまで突き動かすのだろう。

 「小さいころから牛が好きでね。いろんなタイプを育てたい。あとは反骨心だな」

 幼少時、出稼ぎ中の祖父と父に代わり、家の6、7頭を世話した。しかし、牛飼いになる夢は家族に猛反対された。「しんどいし、もうからないからと」

 だったら、もうかる仕事にしてやろう。19歳で独立。約1千万円借金し、牛舎を建てた。

 農家に出向いて蹄(ひづめ)を削る「削蹄(さくてい)」で稼ぎ、母牛を買う。子牛を売っては牛舎を広げる。気付けば母牛は100頭を超え、県のトップを走っていた。

 高水準の肉しか認定されない「神戸ビーフ」も生み出し続けた。賞も総なめ。会社を立ち上げ、牛舎は10棟まで増やした。

 しかし2011年、拡大路線に急ブレーキがかかった。

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 牛を襲ったのは未曾有の感染病「マイコプラズマボビス」だった。

 子牛が次々に発熱。薬が効かない。何頭も死んでいった。

 「もうあかん」。そんな時、知り合いの僧侶に言われた。「あんた、本当に『牛のため』を考えてるか」。胸を突く言葉だった。

 餌を一から見直し、ソバやアワ、ヒエといった雑穀中心のオリジナル飼料を作った。薬も天然由来のものだけ。これまでのやり方を捨てるのは怖かった。

 しかしその結果、病気に強くなっただけでなかった。毛づや、立ち姿、目の輝き。これまでになく美しい。肉質も体格も向上した。

 いわば、「オーガニック(有機)」で育てる牛。これもまた、上田スタイルだ。

 数々の挑戦は業界に影響を与えている。育て方をまね、一貫経営に乗り出す農家もじわじわ増えている。

 新たな地平を切り開いてきた上田さん。「自分らが育てた牛が消費者の口に入るまで、責任を持ちたい」。さらなる夢があった。

(岡西篤志)

2016/1/10
 

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