昼食時、その会話は突然始まった。
「父さんと母さんがけんかしてな、家に警察来て、俺はミニパトでここに来てん」「俺もミニパト」「俺は警察の公用車やったな」「ここに来て、めっちゃほっとしたわ。人いっぱいおったし」。そして別の話題へ。再び話が戻ることはなかった。
子どもたちが尼学に来た理由はさまざま。互いにその背景は知らない。ただ、ほとんどの子が思ってしまう。「自分には価値がないんだ」
12月26日昼すぎ、小学校高学年の7人が会議室に集められた。権利講座の時間だ。使うのは、児童養護施設に入る子に配られる「あなたの未来をひらくノート」。楽しく生活できる。嫌なことは嫌と言える。もちろん希望や自分の考えも。そんなことが記されている。子どもたちが1文ずつ朗読する。最後に職員が、全員の目を見て言った。「みんなが安心できる生活を守りたい。しんどいことは、誰でもいいから相談して」
ある夕食後、中学生の健太が隣に座った。手には磁石で絵を描くおもちゃ。ユニットのものだ。「俺の大事なもん描くから当ててみて」。ペンを走らせる。
健太は幼児の時に尼学に来た。他の子同様、「自分を大事な存在と思えない」子だった。気に入らないことがあると誰かを攻撃した。常に何かにイライラしていた。「だから嫌やねん、学園は-」が口癖だった。でもこの1年で見違えた。落ち着きが生まれ、人との関係を築けるようになってきた。
健太がペンを置いた。おもちゃの画面には、ひもで口をしばった袋とハート。ぶっきらぼうに言う。「こっちはお金。まぁ、そんなにいらんけど」
照れ笑いしながらもう一つ。「やっぱり、命かな」(文中仮名)