尼学の副園長、鈴木まや。施設を支えるベテランが「敗北」と呼ぶ出来事があった。
夜遅く、尼学の電話が鳴った。JR道場駅の公衆電話からだった。かつて尼学で過ごした少女。声がうまく聞き取れない。すぐに駅に向かった。少女は無人駅の傍らでうずくまっていた。睡眠改善薬を大量に飲んでいた。ろれつが回らずフラフラ。連れ帰り、寝かせた。
少女が児童相談所に保護され、尼学に来たのは小学生の時。学校には通っていなかった。両親は体や心に複数の病と障害を抱えていた。部屋の壁はどれもカビが生え、衣類やごみ、食べ物が山積み。環境は劣悪だった。
それでも、少女は家に帰りたがった。当時の尼学は、大人数が集団生活する大舎制。何度も抜け出した。定時制高校に進学が決まり、中学卒業と同時に退所した。尼学に電話があったのはその3、4年後のことだ。
少女は風俗で働いていた。派遣型のデリバリーヘルス。少し眠って落ち着くと、泣いた。「自分が嫌い」「こんなお金は汚い」。でも、睡眠改善薬が抜けると知らない間に帰っていった。そしてまた、フラフラで戻ってきた。何度も何度も繰り返した。やめたいのにやめられない。理由を漏らした。
「だって、その時だけは、みんな私を大事にしてくれるから」
鈴木はがく然とした。かつて少女がいた間に、自分たちが大切な存在になれなかった。大切にされていない感覚を埋められないまま、少女を送り出してしまった。それを埋める手段が風俗だった。
「私たちがあの時ちゃんと埋められていたら、風俗に行く前に来てくれたんじゃないか」
その後、少女は入院した。(敬称略)
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