
集団疎開してきた児童ら=1945年秋、豊岡市出石町内町、勝林寺(勝林寺提供)
尼崎から西へ向かう列車は満員で、客車の屋根の上も疎開地などに移動する人たちでいっぱいだった-。
兵庫県豊岡市出石町桐野の福冨亨さん(82)は、1944(昭和19)年3月、尼崎市から父の実家を頼って出石に縁故疎開した。鉄道を乗り継いだが、姫路駅では遠距離の切符は売ってもらえず、2駅先まで歩いて、ようやく列車に乗れたことを覚えている。
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集団疎開してきた児童ら=1945年秋、豊岡市出石町内町、勝林寺(勝林寺提供)
尼崎から西へ向かう列車は満員で、客車の屋根の上も疎開地などに移動する人たちでいっぱいだった-。
兵庫県豊岡市出石町桐野の福冨亨さん(82)は、1944(昭和19)年3月、尼崎市から父の実家を頼って出石に縁故疎開した。鉄道を乗り継いだが、姫路駅では遠距離の切符は売ってもらえず、2駅先まで歩いて、ようやく列車に乗れたことを覚えている。
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