
抑留中に板東一郎さんが使っていた水筒と器。支給食を入れる飯ごうの皿は満たされず、飢えは続いた=南あわじ市福良乙
1945(昭和20)年11月9日。板東一郎さん(91)=兵庫県南あわじ市福良乙=らを抑留するため、ソ連軍が宿舎を取り囲んだ。同国に命じられた鞍山での製鋼所解体を終え、復員への希望を抱いた直後の仕打ちだった。
盲目の母、交通事故で片脚を失った妹、産後の肥立ちが思わしくない妻を抱え、泣き出す同年兵に、こう諭した。「帰ることを考え、強く生きろ」。古参兵もおえつを漏らしていた。
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