
帰還後にしたためた抑留記を見る板東一郎さん。現地でなめた辛酸の数々、力尽きた戦友の名が残される=南あわじ市福良乙
ソ連沿海州の山中で板東一郎さん(91)=南あわじ市福良乙=ら抑留者の重労働が続いた。満足な食料もない中で強いられた過酷な道路建設。1947(昭和22)年も晩秋を迎えた。終戦から2年以上が経過していた。
やがて初雪が降る。ソ連軍から「雪に閉じ込められると、作業ができない。命が持たない」と下山を指示された。5カ月に及ぶ作業が終わった。
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