「わしら、シベリアにおったから10年は寿命が縮んだんやないか」「でも、まだ生きとるのう。いつまで生きるんかいのう」-。篠山市の細見竹雄さん(91)と橋本信雄さん(87)の兄弟は、今もそんな会話を交わすことがある。
共通の趣味は絵画だが、ともに抑留体験を描いたことはない。「そんなん描こう思うたら気が狂いそうになる」と話す竹雄さん。2人は抑留体験をどう受け止めているのか。まず、竹雄さんに聞いてみた。
「現実として忘れるはずないでな。どんな環境や状況になろうと、そりゃあ、頭の芯にこびりついとるちゅうか、離れへん。わしが思うのは、むごい死に方した仲間たちのことなんや。素っ裸にしては、谷底へコンカラカーンとほかしてもうて。あんだけの人間、大勢死んで、魂はどうなったんかなあ」
「こうして生きて帰っとる以上は、人生経験として全くの無駄なことではなかったんやろうと思いたいし、体力増強の一つにもなって、長生きができるんかいなって考えるぐらいやな。大勢がみじめに殺されたいうことに対する恨みは腹の底ではあるけど、それを一人で考えてみたかて何の効果もないし、そんなことは忘れて暮らすのが、健康にいい思うてな」
徴兵、旧ソ連軍との戦闘、シベリア抑留。戦争一色に染まった青春時代を、竹雄さんがぽつりぽつりと振り返る。
「今の若い子を見て、しんみりなることがある。女の子と恋愛してな、おもしろうに暮らしていくちゅうな。人を殺す稽古して、その後シベリアに連れてかれて、わしらには楽しい青春なんて何にもなかった」
「ただ、当時はそれが当たり前やったからな。人間ちゅうのは、そんときの状況ちゅうか、時代の波に乗ってしもうたら、それが苦労やないって思うてまうんやな。適齢期になったら軍隊に入って、天皇陛下のために命を捨てるのが当たり前で、徴兵検査でも甲種やのうて丙種とかやったら、泣いて悔しがるやつがおった」
「幸せだとか、幸せでないとか、そういうんやない。みんながそうやから、わしらもそうせなあかんってな。それがおかしいなんて、いっぺんも思うたことないんや。戦争が終わって、内地に帰れる思うたら捕虜になって、やけど、そういうもんかとも思うとった」
「せやからこそ、シベリアのことを忘れたいと思うし、あまり深い考えちゅうか、感想ちゅうのも持ってへんのやけど。でもやっぱりな、若返るもんなら若返りたいなあって、時々な。そんなん思うたて無駄やさかいな、そないいつもは思わへんけど、たんまに、しんみりと思うんや」
(小川 晶)
2013/6/4