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(3)決断 警戒体制の中、解除
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 消防無線が東灘区災害対策本部に伝えてくるLPG(液化石油ガス)漏れの状況は、緊迫の度を増した。

 「ガス流出の止まる気配はない。引火の可能性のあるものを遠ざけて」

 避難勧告の決断が本部長である金治勉区長にゆだねられた。だが、手持ちの情報は皆無。

 避難勧告は、神戸市の場合、区長の要請で神戸市災害対策本部長の市長が発令する。神戸市地域防災計画には、市内の避難計画表が載っている。がけ崩れが予想される急傾斜地などで、避難世帯数や伝達方法、避難所までの距離、時間などが詳しく書いてある。

 神戸市東灘区では二十七カ所がリストに上る。一カ所の避難対象人数は最高でも百九人。LPGタンクに関する記載は何もない。すべては一からの決断だった。しかも避難規模もけた違い。

 パニックが起きないか。混乱の中での避難勧告はできるだけ避けたかったが、事態は差し迫っていた。金治区長は、事業所や消防署と相談し、避難範囲、方法を決めていった。 

 ガスタンクのある神戸港東部第二工区と、隣接する第一工区での避難勧告を市長に要請する。一月十八日午前六時、勧告発令。

 金治区長は「頼んまっせ」と胸の内で繰り返した。

 「だんじりが盛んな土地柄だし、住民のつながりがデマやパニックを防いでくれないか。そう祈った」

 住民への伝達は容易でなかった。避難所への電話はつながりにくく、広報車は渋滞に巻き込まれた。

 マスコミ報道も混乱した。六時二十八分、「ガスタンクから四キロ以上遠くへ避難を」とラジオが報じた。本部の指摘で訂正された。

 消防関係には「JR神戸線より北へ避難を」との情報が広がっていた。そして、七時半、ガス漏れの状況が好転しないため、対策本部は「国道2号線以北へ」と避難範囲を拡大する。それが、一部のラジオやテレビでは「解除」と誤って伝えられた。

 だが、疲労しきった住民たちの間では、なぜかパニックは起きなかった。

 避難勧告は午後六時半、解除される。現場ではガス漏れを止められないため、事故タンクのガスを隣のタンクヘ移送し、空にすることが決まっていた。移送開始を確認し、金治区長は解除を決めた。

 「危険が減ったと判断した。夜になるということもあったし」

 正確には警戒体制を敷いたままの「一時解除」だったが、「解除」としか市民には伝えられなかった。

 現場では、「危険がゼロになったわけではない」(事業所)という状況下で、慎重な移送作業が続いていたのである。

 神戸港長の小林也竣神戸海上保安部長が、タンク付近の航行禁止を解除したのは、二十二日午後三時。ガスの移送作業を終えた時刻だったが、区長の決断とは四日間のずれがあった。

 二つの決断の是非を問う論議はまだない。

1995/3/4
 

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