阪神大震災から一昼夜たった一月十八日未明、神戸市東灘区でLPG(液化石油ガス)タンクからのガス漏れによる避難勧告があった。対象は約七万人。兵庫県史上空前の規模だった。だが、事業所も行政も「まったく想定しなかった事故」と言うだけで、いまだ爆発した場合の被害規模さえ明らかになっていない。避難勧告で明らかになった「安全神話」を考える。(宮沢之祐、新谷敏章記者)
安全への逃避は、行くあてもなく始まった。
余震で一睡もできなかった同区住吉南町の会社員北添悦男さん(五〇)は、「津波が来る」と近所の人の話に驚き、家族と一緒に家を出て北を目指した。倒れた民家が、父(八五)の車いすを阻み、何度もう回した。
住吉宮町の亀井巌さん(七二)幸子さん(六八)夫婦は、市立住吉小の体育館の横で毛布にくるまり、夜明けを待っていた。
まだ暗い時間、突然、体育館からどっと人が出てきた。「山へ逃げー」という声。わけもわからぬまま、巌さんは幸子さんの手を引いて歩き出した。
東灘区災害対策本部(本部長・金治勉区長)が避難勧告を発令したのは、十八日午前六時。
情報は最初から混乱した。ラジオが告げる避難先は、国道2号線の北やJR神戸線の北。六甲アイランドではいっそう混乱がひどかった。
校長室で仮眠していた神戸市立六甲アイランド小の久万武彦校長(五八)は午前六時二十分、若い教諭に揺り起こされた。
「避難勧告です。第二工区からガスが漏れているそうです」
校舎は住民の避難所になっていた。どこへ逃げればよいのか。テレビでは、避難情報が二転、三転した。消防や警察への電話は何十回と試みても通じない。
八時半、神戸水上署から連絡が入る。「住民は島の東南へ」。具体的な避難先の指定はなかった。
小学校へ避難してくる住民は増え続けた。「安全ですか」「たばこは吸っていいのか」「まだ危険なんですか」。質問は自分たちの知りたい内容だった。
ガス漏れを起こした「エム・シー・ターミナル神戸事業所」のLPGタンクから、幅七百メートルの水路を隔てた六甲アイランドの避難について、同事業所は当初、災害対策本部に神戸本土への避難を進言したという。橋が崩れると、約一万人の島民が逃げ場を失う可能性があるからだ。
だが、対策本部の出した避難先は「島の東南」。警察は六甲大橋の通行を、人、車とも禁じた。水上消防署は、まだ避難勧告の前段階と受け止めていた。ガス漏れの避難勧告は「想定外」であり、現場は混乱し続けた。発火源となる危険がある車での避難は禁じられたが、避難区域の各地で道路に車があふれた。
ガス漏れを止める作業の進行状況や、危険度について、住民に何の情報もないまま、ただ時間は過ぎた。
まだ爆発の危機と隣り合わせだった午後、自宅や元の避難所に住民たちは戻り始めた。
1995/3/2